tak

北斎漫画のtakのレビュー・感想・評価

北斎漫画(1981年製作の映画)
4.2
2012年5月に100歳で亡くなり、生涯現役の映画監督としてメガホンをとりつづけた新藤兼人監督。メジャー映画会社の仕事ばかりでなく、独立プロで商業映画では表現できないような題材にも果敢に挑んできた人。僕はまだまだ不勉強で監督作の多くを観てはいないけれど、最後の作品まで人間の生き様を描き続けた人だと思っている。脚本のみを提供したメジャー系の作品でも、人間を見つめる視点は貫かれていた。僕が観ている映画では、例えば鈴木清順「けんかえれじい」の青春像、深作欣二「軍旗はためく下に」のおぞましい戦場の現実、野村芳太郎「事件」のドロドロした人間関係、和田勉「完全なる飼育」の性愛・・・時に説明しがたい矛盾を抱えてしまう人間の不可解さ、悲しさ、面白さ。それらを思い出しても他の映画とは違う力強さを感じずにはいられない。

「北斎漫画」は高校生のとき、テレビで放送されたのを録画して親の目を盗みつつ少しずつ観た映画だ(恥)。あの頃は樋口可南子と田中裕子のヌードに見とれてたのと、緒方拳演ずる北斎の老いてなおパワフルなところばかりが印象に残っていた。だってねぇ、男と女のこともようわからん時期に観た訳だし(早すぎ?)それは仕方ない。

さて。今の年齢になって「北斎漫画」を改めて観て、妙に心に残るのは男たちのことばかり。下駄屋に婿入りして嫁の目を盗みながら読み本を書く滝沢馬琴(西田敏行)のおどおどした様子には、既婚男性なら共感できるところがあるだろう。厠で本を読んでたり、仕事のついでに読み本の打合せしようとして見つかったり、婿入りも生活の安定が理由だったり。10代で観た頃いちばん理解し難かったのが、お直に翻弄される男たち。あの頃は、とっととあきらめればいいやん、あんな女・・・と思いながら観ていたけれど、今観ると北斎がのぼせ上がる理由や忘れようとしても忘れられない気持ちが痛いほどわかる。日蓮像を「これはお直だ」と言って拝み続ける執着、お直が去った後の喪失感。晩年に瓜二つの女が現れた時の立ち直り方。北斎の父親がお直に翻弄された挙げ句に自殺する場面にしても、高齢で若い娘をつなぎとめておく厳しさが今となっては理解できる。

しかし新藤監督が亡くなった今観て、最も強く訴えかけてくるのは最後の北斎の台詞だ。90歳から5年で西洋画を学んで描く。そしてその後はこれまでの総仕上げ・・・という意欲に満ちた言葉。この後北斎はポックリ亡くなり、これが臨終の言葉となるのだが、新藤監督は100歳のまでメガホンをとり、それをやっちゃった人なんだなと思えた。「夕立がきやがった!」と江戸の町を走り出す北斎。それは新たなひらめきがあって、それを実現しようと立ち向かうエネルギーの現れ。新藤監督の頭の中には老いてなお、夕立が降っていたのだな。ご冥福をお祈りします。
tak

tak