これもなかなか観るに忍びないロキュメンタリーです。
金髪のハゲたおじさん、アーサー・ケーンさんは、モルモン教のファミリー・センターの図書館で働いています。図書館に何台かあるコピー機にちゃんと紙が入っているようにしておくことが主な仕事で、他には背が高いので一緒に働いているおばあちゃん達のちょっとしたお願いを聞いたりします。
アーサーは毎朝、1時間半かけてハリウッドにある図書館に通います。バスを2台乗り継がなければなりません。アーサーは、図書館からのわずかな収入と、生活保護で暮らしています。
アーサーは、お金がなくてベースギターを質屋に入れたのですが、それを売られないように、毎月172ドルを質屋に収めています。260ドルあれば、ベースを買い戻すことができるのに、アーサーは一度に260ドルのお金が手元にあったことがないため、買い戻すという考えが頭に浮かんでこなかったそうです。
この人が、あの伝説のグラム・バンド、ニューヨークドールズでベースを弾いていた、アーサー・キラー・ケーンなのです!
ニューヨークドールズは、1970年台初頭にニューヨークでストゥジーズやヴェルヴェット・アンダーグランドと共に活躍したバンドで、のちのブリティッシュ・パンク・ニューウエーブ、そしてLAヘアメタルに多大な影響を与えた伝説のグラム・バンドなのですが、アーサー曰く、アルコールやクスリに溺れて、バンドはアルバム2枚で崩壊してしまった。
バンドの他のメンバー、ジョニー・サンダースやデヴィッド・ジョハンソンは、なんだかんだ芸能界に残っていたのですが、アーサーは長期的に続くプロジェクトに参加できず、次第に仕事は減り、酒に溺れ、クスリに溺れ、離婚、自殺未遂を経て、モルモン教に改宗し、今日に至る。現在は、家族もなく、LAの小さなアパートに一人暮らし。
監督のグレッグ・ホワイトレイは、ひょんなことからアーサーと知り合いになるのですが、DVDの特典でこんなことを言っています。
「もし神様に、17、8歳から2年間、ロックスターにしてあげる、その代わり、その後の30年間は貧困と孤独の中で生きることになるよって言われたら、どうする?!」
アーサーの人生はまさにそういう感じで、監督はいつもアーサーの話を聞いて「これは興味深い、映画になるべき話だ」と思っていたそう。
アーサーは自分の小さいアパートをドールズのメモラビリアで飾りまくり、口を開くと「あの頃は楽しかった、ドールズを再結成したい」と言っていたのだが、ある日監督はアーサーに、「ロンドンで開かれるロック・フェスに、ニューヨークドールズとして出るかもしれない」と言われ、「これはドキュメンタリーをやるっきゃない」と思ったそうです。
そのロック・フェスというのは、2004年にロンドンで開かれたメルトダウン・フェスティバルと言われるもので、同年の開催責任者となったモリッシーが、ドールズに再結成の話を持ちかけたそうな。
モトリー・クルーの伝記映画『ザ・ダート』で、ニッキー・シックスがモトリー・クルーの曲の版権を取り返す、というシーンがあるが、通常ミュージシャンは、レコードを出してもらう代わりに、曲の版権をレコード会社に持っていかれるものらしい。『ザ・ダート』でも、「ビートルズだって曲の版権を持ってない!」というシーンがある。
ドールズも、爆発的に売れたわけではないにしろ、その後もカルト的なファンが多く、ファースト・アルバムは現在までにかなり売れているはずであるが、ドールズのメンバーはそこから一銭も儲けていないらしい。
モリッシーはインタビューで、「ボーカルのディヴィッド・ジョハンソンを引っ張り出してくるのがキモだった。ディヴィッドはドールズで一銭も儲けていないから、苦々しい気持ちでいると思うし、ドールズから一線を引こうとしているはず」と言っていた。
しかし生き残ったオリジナル・メンバー(ご存知の通り、ジョニサンとジェリー・ノーランはすでに他界している)は再結成に乗り気で、フィルムの主人公であるアーサーは、ニューヨークでリハーサルした後、ロンドンでのたった一回のライブのために旅立つ。
ちなみに、この公演のためにベースを質屋から出すために、教会の人たちがお金を集めて、アーサーにくれたそうです(涙)
ロンドンでのアーサーは、ホテルの部屋に電話が3台付いていることに感動し、コンサートの日の昼食会では「人生で食べた昼食の中で、一番美味しい昼食だった」と言っていたんだって。
ホテルのシーンで、どこのホテルにもある電話が置いてあるデスクがあるじゃないですか。あれを見て、「あんなマホガニーのデスクがうちにも欲しいな」って言っているところがもう泣けてきた。
メルトダウン・フェスでのドールズのパフォーマンスは、ものすごい評価が高くて、この後ドールズは正式に再結成して、アルバム2〜3枚出し、数年間はフェスに出たり、ツアーしたりすることになるのだ。が!!
アーサーはメルトダウン・フェスからLAに戻ってきて、またいつもの図書館の仕事に戻るんだけど、ロンドンで風邪を引いたとか言って、体調が悪かった。ある日救急車で病院に運ばれ、白血病と診断され、2時間後に亡くなった。メルトダウン・フェスから22日後のことだった。
モリッシーを始め、クリッシー・ハインド、ボブ・ゲルドフ、ミック・ジョーンズ、ドン・レッツなど、ブリティッシュ・ロックの一時代を築いた人たちがみんな口々に「ドールズから最も影響を受けた」と言っているのに、そのメンバーであるアーサーに与えられたのは、十代の時の約2年間の名声と、50歳過ぎてからの、たった一回の再結成コンサート。
エンディングにザ・スミスの『Please, Please, Please, Let Me Get What I Want』がかかり、アーサーが若い時ドールズにいた頃の写真が走馬灯のように出るんだけど、もう涙が止まらないです・・・・。図書館で一緒に働いていたおばあちゃんは、アーサーが死んで本当にガッカリしていた。
こんな人生を送る人もいるんだなあ、アーサーは幸せだったのかな?とか、色々考えさせられます。