ブタブタ

煉獄エロイカのブタブタのレビュー・感想・評価

煉獄エロイカ(1970年製作の映画)
5.0
吉田喜重監督「日本近代批判三部作」の中で最も難解かつ、非商業主義のATG作品の中でも最も前衛的・実験的で、シンメトリーの構図や芸術的カメラワークや白と黒のモノクロの光と闇の美しさ等々ひとつの頂点を極めた究極の作品では。

シュルレアリスム・アヴァンギャルド映画である事は間違いないのですが自分はかなりSF・サスペンス・テクノスリラーとしても出色の出来の映画だと思います。

「煉獄」のタイトル通り登場人物たちは実は皆死んでいて、これは永遠に続く堂々巡りを繰り返しているドグラ・マグラ的世界だと思えばそうなのかも。
現実と幻想が入り交じり、過去現在未来の時空間も狂っていて、その中でいつまでも終わらない実行される事のない革命とその計画と内ゲバを続けている。

1952年と1969年と1980年の3つの時代の世界が融合しているのは、これは煉獄や悪夢だと思えばそうだし、3つの世界が同時進行で、世界そのものが人物達の意識によって時間や空間が狂った世界が出現した物なのかも知れない。
と考えるとつまりコレは内宇宙SF。
庄田はもしかしたらタイムマシンを開発してて、それは人間が過去や未来を移動するのではなく世界そのものを過去や未来に移動させる物で、シャッターを開けると別の時間、水路の様な通路を通ってやって来る過去や未来の人物達等々、あの世界そのものがタイムマシンの内部なのかも知れない。

夏那子(岡田茉莉子)の夫・庄田(鴨田貝蔵)は電子工学エンジニアでレーザーの実験応用技術研究において革新的な発明を行っているらしい。
学生時代は左翼学生運動に参加しながら実は警察のスパイでもあり、突然現れた拒食症の少女アユと関係を持ってしまいそれを写したフィルムをもとにテロリストに脅され協力を強要される。

夏那子はアユの事を「いなくなった自分の子供」「13歳の時の過去の自分」「妄想の産物」のどれか悩むけども恐らくは全部で、どれも意味が無い。

1969年にアユの父親を名乗る男は1952年に庄田によって始末されたゲリラ「セイ」であり、また1980年の未来にも存在する。

『少女革命ウテナ』は時間が停止した学園と「世界の果て」なる謎の存在から来る指令によっていつまで経っても発動しない革命の計画が続く世界が描かれていましたが、『煉獄エロイカ』も同じ様に全てを知っている「アトウハクジ」なる謎の存在とコチラは三つの世界がメビウスの輪の様に絡まり円環の構造でもっていつまでも終わらない実行されない革命の計画と内ゲバが永遠に続き、最後の「DEAD END」の看板通りどん詰まりの結末を迎えても夏那子がシャッターを潜れば又最初から話しが始まるのでしょう。
とにかくもうスゴすぎて好きすぎる世界なので何回も見たい作品。
岡田茉莉子さんがキレイ。
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