ちゅう

プラダを着た悪魔のちゅうのレビュー・感想・評価

プラダを着た悪魔(2006年製作の映画)
4.2
全く異なった世界で生き残る。
その難しさ、楽しさ、くだらなさ。


小学校に入るのも中学校に入るのも高校に入るのも大学に入るのも社会人になるのも全て異世界に飛び込むことであると思う。
それ以外にも何かしらの活動をするために人の集団に入る時は異世界に飛び込んでいるんだと思う。

普通、それでも自分が選んであるいは選ばれてその集団に飛び込むわけだからそこまでの世界の乖離は起こらないはずで、まあ留学などは想像以上のことが起こると思うけど、そういった一部を除けばそこまでの努力を必要としないと思う。

でも今まで考えてもみなかった世界に入ってしまった場合は引き裂かれるような痛みを伴うことがしばしばある。


アンディ(アンハサウェイ)は、自分の野望のために全然興味のなかったファッション業界に飛び込む。
一流ファッション雑誌の編集長であるミランダ(メリルストリープ)の秘書となる。

けれどその道の一流は厳しくて四苦八苦することになる。


ミランダに振り回されてプライベートも無茶苦茶になりながら葛藤し成功していくアンディの姿には清々しいものがある。
そしてそのために捨て去ってしまったものに気付いていくところもよかった。

ただ、異世界に適応するためには血の滲むような努力が必要なはずで、そこがもっときちんと描かれていればさらに良かったのになとは思った。


アンディが垢抜けていく姿の描写は目を見張るものがあった。
こんなに綺麗な人でもファッションやメイク、ウエイトを変えるだけでここまで印象が変わるというのは驚きだった。
ファッションのことはよくわからないのだけど、大事さは身に染みた。
そういう意味でファッション業界を描いた映画としてはとても成功していると思う。

そしてそのアンディが一流の世界に適応するというリアリティを担保していたのが、メリルストリープの重厚な演技だった。
ゆっくりと静かな口調なんだけど、重みのある言葉でその存在感を認めずにはいられない。
最初から最後までメリルストリープがこの映画の世界観を支えていた。
素晴らしかった。


クライマックスでアンディのした決断は爽快だったけれど、それはミランダの言った"人が何を求め必要としているかを超え自分のために決断できる"ことの証明だった。
そしてそれが自律した人間であるということだった。

最後、ミランダが思わず笑みを浮かべるのは多分それを喜んでいたからだと思う。
ちゅう

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