フラハティ

マイライフ・アズ・ア・ドッグのフラハティのレビュー・感想・評価

4.2
人生において上も下もない。


人生で辛いことや苦しいことに直面したとき、あの犬よりもマシだと思えば生きていける。
辛いけれど、宇宙船で死んでしまったライカ犬よりはマシだ。

母親は何らかの原因で体調を崩し、そのイラつきはイングマルにぶつけられる。
イングマルは母親が大好きだが、今の母親にはあのときの優しい面影があまりないという悲しみ。
唯一の慰めは愛犬だけ。


時が悲しみを癒すというけれど、幼い子供にはあまりにも辛い。
大人が悲しいことに立ち会ったときの対処法はきっと多いが、子供には対処法はそれほど多くない。
今いる環境がどれほど人格の形成に影響されるのか。
「施設に入れられるよりマシ」というセリフがあるが、この環境ならば施設に入れられた方がマシとさえ思えてしまう。
もちろんあの村のように良いところならばいいんだけどね。

両親の不在というあまりにも大きな人生の損失。
その上自分の居場所すらなくなってしまう。
母のためを思い行動しても上手くはいかず、自身がダメなのではないかというマイナスな考えに至る。
けれどあの村で生活するとき、誰もが完璧な人間ではなく、どこかおかしいところがあったりする。
そこに自己の存在の在り所を見つけられる。


人生において経験はすごく大事だと思う。
楽しいことであれ、悲しいことであれ。
若い頃に多くの経験を積んでいれば、自分を見つめ直すことや、人の気持ちを考えるという力が身に付く。
死という絶対に逃れられない出来事に出くわすにはあまりにも幼いが、この経験は彼をよい方向へ導いてくれるんじゃないだろうか。
そしてやっぱり思うのは、大人なら一人で悲しみを癒すというのも大事だけれど、子供なら悲しみを感じさせない環境でいさせることが大事なんだということ。

誰かのために人生を生きるというのもある種の生き方。
本作のイングマルはまさに母のために生きていた。
母が笑ってくれればそれでいいから。
つまり彼は従順な犬のようで、『マイライフ・アズ・ア・ドック(犬のような人生)』を送っていた。
でもこれからは自分のための人生を生きていけるはず。
それは悲しみを乗り越えた先の、彼の成長。
人類の発展のために生きた犬(強いられた生き方)のようではなく、自分の発展のために生きていく。
当たり前のことだが、イングマルには新たな発見なのだ。


ヌードを見たすぎて天窓から落ちるシーンとか、コルセットの説明を語らせるじいちゃんとか、手作りの宇宙船とか、いつも仲良くサッカーしてた友達とか、どれもが良い思い出に。

母親の姿だって病気によるものであるし、兄だって弟を支えられないほど苦しんでいる。
結局言いたいことは、誰だって背景に何かを抱えていて、客観視すれば悪者など存在していないということ。
イングマルは将来すごい大物になるんじゃないだろうか。
なんて、誰しもそんな未来が待っているのかもね。
フラハティ

フラハティ