マイライフ・アズ・ア・ドッグの作品情報・感想・評価

「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」に投稿された感想・評価

すごい綺麗な映画
パンを焦がす失態がクリスマスプレゼントに繋がっていたり、上着を脱がないのは母親に見せたかったから、みたいな逆説的な提示はいい。ただ要素が多過ぎて個々の牽引力が弱い。
TaeTae

TaeTaeの感想・評価

3.5
母が亡くなり、愛犬も失ったイングマルが引き取られた田舎の親戚宅の庭の小屋で咽び泣くシーンは切ないが、おおらかで優しい人々に育てられて行く日々を明るく描いている。
ウメダ

ウメダの感想・評価

4.3
名作「ギルバートグレイプ」のラッセ・ハルストレムの出世作。
スウェーデンの雰囲気と村人たちとの交流の見せ方がうまい。フィルムの映像の光の色合いが儚く眩しい(特に回想シーン)

この映画の良さを一回では掴めなかったため、すぐ見直した^ - ^

ガキ大将の女の子が良い! 叔父さんが優しい!

淡々と日常生活を見せながらも、
少年の葛藤と表現の表し方によって、じんわりと悲しさと儚さが溢れてくる映画でした。
は

はの感想・評価

3.7
イングマルの一見風変わりな行動を
否定的に捉えることなく
それが彼の魅力として、惹かれ
関わっていく田舎の人々が暖かい。
Kuuta

Kuutaの感想・評価

4.0
ライカ犬よりマシ。そう繰り返しながらも現実は確実に変わっていく。クリスマスプレゼントを断った母親は死期を悟っていた。犬は子供的な無邪気さでもあり、現実逃避の手段でもある。

美しい村に住む個性的な面々がユーモラスでとても愛おしく、抑えた演出で編集テンポも良いのでずっと見ていられる。無関係に見える村人のエピソード1つ1つがイングマルの心を少しずつ癒していく。

秘密基地とかヌードのお姉さんとかボクシングとか、少年の世界が鮮やかに描かれている。構成も上手くて、「お母さんが元気なうちにもっと話せば良かった」エピソードを一人東屋で振り返る=映画の大半が過去の回想だが、叔父さんとの会話を通してイングマルが犬と母という2つの死を受け入れることで夜が明けて、初めて時制が前に進む。新しい日々の始まりを告げるのが寒中水泳。屋根から解放された爺さんが死ぬかと思ったら死なない。むしろ周囲の村人にやり過ぎなくらい支えられて、暖められていく。その姿を見てイングマルも思わず微笑んでしまう。彼の未来への希望を暗示しているかのようだ。

火は生命力。ガラス細工、音のしないトースター、怒られた調理実習、火事、「あなたが連れてきた」太陽…。炎から生まれたガラス細工が注ぐミルクは母性を象徴している気がするし、それを拒絶するイングマルの反応は、母に対する複雑な心境が現れている。最後に牛の群れに突っ込むのも示唆的。
スプートニクのような上昇が昇天(=死)と連想されるのに対して、この映画では落下は生きることだと一輪車の曲芸師が示している。天窓からの落下、ボクシングリングからの落下、手作り宇宙船の落下。ベッドの下、線路の下には性的なものがある。
一人で読む本に対比される読み聞かせ。みんなで見るTVとラジオ。

少年が世界を広げ、変化を受容し、他者を見出していく。サガもまた、少女であることを受け入れていく。イングマルの東屋での寝姿とラストカットが綺麗に対になってて唸った。81点。
NAOKI

NAOKIの感想・評価

3.9
毎朝、車で家を出るときちょうど小学生たちの登校の時間と重なる。
いつも以上に安全運転で歩道をいく子供たちに注意を払って運転する…

そんな中にいつも見かける印象的なふたりの子供がいる。小学3~4年生くらい…男の子と女の子がふたり、いつもしっかり手を繋いで楽しそうに話ながら登校している。

昭和の残党から言わせてもらうとそれくらいの年頃って異性を意識しはじめて男女が一緒に登校したり遊んだりするなんて考えられないって世代…

双子かな?いやいや今の時代…ちゃんとお付き合いしてる恋人同士かもしれない…

なんにしてもふたりはいつも楽しそうで…おれは毎朝…微笑ましく彼らを眺めていたのだ。

ある天気のよい朝…おれは自販機の脇に車を停めて朝の缶コーヒーを飲んでいた。
すると…あのふたりが今日は手を繋がず何やら妙な雰囲気で通りかかった。

「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」
スウェーデン映画…
監督のラッセ・ハルストレムはこの映画の後ハリウッドに招かれて「ギルバート・グレイプ」や「サイダーハウス・ルール」などの傑作を撮ることになる。
最近の「僕のワンダフル・ライフ」でも泣かされました。

このタイトルの「ドッグ」についてはライカ犬の話が出てくる。
スプートニク2号で世界ではじめて地球を周回した犬として歴史に名を残したライカ…

でもライカの宇宙旅行は片道切符…最初からライカの帰還は計画されてなかった。
宇宙開発のために犠牲となった哀れな犬…

子供の時…この話を聞いておれもショックを受けたのを覚えている。
主人公の少年…イングマルはどんなに辛い目にあおうとこのライカ犬よりマシだと考える…

子供というのは未完成な存在である。
そんな子供時代に経験する感動や恐怖や悲しみや安らぎは人生最大のものに違いない…誰もがそれを経験してるはずなのに大人になると忘れてしまう…

そんな子供時代をちょっぴり思い出すような映画…

北欧は性に対しておおらかなイメージがある。
子供たちの性の目覚め…
ボクシングの強い女子は胸が膨らみ始めると…男の子たちと遊べなくなるのが嫌で布を巻いてそれを隠そうとする…
その子に恋をするイングマル…

なんて切なくていとおしい映画なんだろう…

自販機の横でコーヒーを飲んでるおれの前で少年は情けない声を出した…

「ユミちゃん…もう許しておくれよ~ぼくが悪かったです」
どうやらケンカでもしてるらしい。

突然先を歩いていたユミちゃんがクルっと振り向くと両手を腰に当てて顔をやや上に向けて少年に言った。

「どうして男っていつもいつもそうなの?!先生が言ってたでしょ?人間は失敗してもそれで学んで成長するもんだって!」

おれは缶コーヒーを口に当てたまま動きが止まってた…
ランドセルがなかったら…ジェシカ・チャステインだな…まるで…

「それをあんたは何回も何回も懲りずに…もう…ちゃんと学習してよ」
「ごめんよ~ユミちゃーん~ぼく頑張るからさ~」

そんな情けない少年を見てたユミ・チャステインは「もうしょうがないなー」って感じでふっと笑った…

「ごめんね~」 
少年はおそるおそる手を差し出した…
ユミ・チャステインはやれやれって感じでその手を取ると…いつものようにふたりで手を繋いで楽しそうに歩き出した。

おれはまるで自分がユミ・チャステインに怒られたかのような気分で背筋を伸ばすと…空き缶をゴミ箱に放り込み、車に乗り込んで仕事に向かった…

「頑張れ…少年!可哀想なライカに比べれは君はとてつもなく幸せだ…」
小学生の絵日記みたいな話。場面転換の意味も分かりやすいし、映画の主題もよく分かる。ニューシネマパラダイスみたいな雰囲気?おじさんになってから観ると、回顧の力で感動できるのだろうか。
2018/10/13 シネプレックスつくばにて午前十時の映画祭9で鑑賞。

『くるみ割り人形』が控え、少し前には『ワンダフル・ライフ』で犬好きの心を抉りに抉ったラッセ・ハルストレム監督作品。

実は『マイ・ドッグ・スキップ』と勘違いしての鑑賞笑
最初は「何だよ、全然犬出てこないじゃん!」とか思ってました。なるほど、それがメインじゃないんですね笑 ただ、犬はもちろん出てくる。

子供だからか、ADHDかはわからないが、変わった性格のイングマル少年が主人公。ストーリーは元々病弱な上、兄弟(特に主人公)の問題行動でノイローゼになった母親の病状が悪化し、田舎の叔父さん家族の元へ疎開するところから展開するのだが、この田舎がまた絶妙な設定。

風景の美しさはもちろん、エロ爺がいたり、皆が働く陶芸工場のマドンナは、密かにヌード・モデルをしている。子供達の遊びはボクシングだが、チャンピオンは女の子だ。この辺のアンバランスさが田舎だなあと思わせる。
そして、その世界で叔父たちと擬似でも家族を形成、職業体験をし、恋愛感情を抱かれることで、アンバランスな少年に少しずつ変化をもたらす。

しかし終盤、「自分の人生はソ連ロケットで宇宙に行ったライカ犬よりマシだ」と反芻し、寂しさを紛らわせていたイングマルだが、ある出来事をきっかけに母親への想いを爆発させる。
しかも前半と異なり、季節は冬。切なさ漂うシーンだが、逆に他人の優しさも感じさせるのがハルストレム演出の良いところ。むしろそうやって大人になっていくんだと、ポジティブささえ感じた。

とりとめなくなってしまったが、都会と田舎。夏と冬。ノーマルとアブノーマル。様々な対比を持って、少年の心模様、及び成長を巧みに描写した作品だと思う。

そういや、イングマルは初っ端から下半身丸出しで、ヒロインのメリンダ・キナマンも普通に上半身を露出していた。昨日見た『センソリア』というスウェーデン・ホラーにも幼女の裸が出てきたし、この国は規制が緩いのかな?欧米は厳しいイメージがあったけど。
人生において上も下もない。


人生で辛いことや苦しいことに直面したとき、あの犬よりもマシだと思えば生きていける。
辛いけれど、宇宙船で死んでしまったライカ犬よりはマシだ。

母親は何らかの原因で体調を崩し、そのイラつきはイングマルにぶつけられる。
イングマルは母親が大好きだが、今の母親にはあのときの優しい面影があまりないという悲しみ。
唯一の慰めは愛犬だけ。


時が悲しみを癒すというけれど、幼い子供にはあまりにも辛い。
大人が悲しいことに立ち会ったときの対処法はきっと多いが、子供には対処法はそれほど多くない。
今いる環境がどれほど人格の形成に影響されるのか。
「施設に入れられるよりマシ」というセリフがあるが、この環境ならば施設に入れられた方がマシとさえ思えてしまう。
もちろんあの村のように良いところならばいいんだけどね。

両親の不在というあまりにも大きな人生の損失。
その上自分の居場所すらなくなってしまう。
母のためを思い行動しても上手くはいかず、自身がダメなのではないかというマイナスな考えに至る。
けれどあの村で生活するとき、誰もが完璧な人間ではなく、どこかおかしいところがあったりする。
そこに自己の存在の在り所を見つけられる。


人生において経験はすごく大事だと思う。
楽しいことであれ、悲しいことであれ。
若い頃に多くの経験を積んでいれば、自分を見つめ直すことや、人の気持ちを考えるという力が身に付く。
死という絶対に逃れられない出来事に出くわすにはあまりにも幼いが、この経験は彼をよい方向へ導いてくれるんじゃないだろうか。
そしてやっぱり思うのは、大人なら一人で悲しみを癒すというのも大事だけれど、子供なら悲しみを感じさせない環境でいさせることが大事なんだということ。

誰かのために人生を生きるというのもある種の生き方。
本作のイングマルはまさに母のために生きていた。
母が笑ってくれればそれでいいから。
つまり彼は従順な犬のようで、『マイライフ・アズ・ア・ドック(犬のような人生)』を送っていた。
でもこれからは自分のための人生を生きていけるはず。
それは悲しみを乗り越えた先の、彼の成長。
人類の発展のために生きた犬(強いられた生き方)のようではなく、自分の発展のために生きていく。
当たり前のことだが、イングマルには新たな発見なのだ。


ヌードを見たすぎて天窓から落ちるシーンとか、コルセットの説明を語らせるじいちゃんとか、手作りの宇宙船とか、いつも仲良くサッカーしてた友達とか、どれもが良い思い出に。

母親の姿だって病気によるものであるし、兄だって弟を支えられないほど苦しんでいる。
結局言いたいことは、誰だって背景に何かを抱えていて、客観視すれば悪者など存在していないということ。
イングマルは将来すごい大物になるんじゃないだろうか。
なんて、誰しもそんな未来が待っているのかもね。
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