きょんちゃみ

怪談のきょんちゃみのレビュー・感想・評価

怪談(1965年製作の映画)
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【ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)著『日本海に沿うて』の私訳】

 もう何年も前のことであるが、鳥取のごく小さな宿屋が、最初の客として、ある行商人を泊めた。主人はその宿屋が評判になることを望んでいたので、その行商人は格別にもてなされた。宿は新しかったのだが、なにぶん主が貧しかったので、「道具」、つまり備え付けられた家具や器具のほとんどは、「古手屋(ふるてや)」から購入されていた。しかしそれでもなお、すべてのものが小綺麗で、心地よくて、感じがよかった。行商人はもりもりと食べ、温まった良い酒をたっぷりと飲んだ。そしてその後で、彼の寝床が柔らかい床の上に準備され、そして彼は横になって、眠りについた。

 [ところで、ここで日本式の寝床について、ひとこと申し上げるために、少しのあいだこのお話を中断しなければならない。どんな日本家屋であれ、誰か同居人が偶然病気でふせっているのでもない限り、あなたが全ての部屋を訪ねて、その隅々まで覗いたとしても、日中に寝床を見かけるということはまずありえない。実際、西洋的な意味でのいわゆる「ベッド」が日本には存在しないのである。日本でそれに相当するものには、骨組みもなければ、バネもついていないし、マットレスも、シーツも、毛布もついていないのである。それは、綿が押し込められたというか、詰められているような、厚いキルトだけで構成されており、そしてそれが「布団」と呼ばれているのである。ある数の「布団」が「畳(床の敷物)」の上に敷かれ、そしてある数の別の「布団」が、その上からかけられるために使われる。富者は、5枚や6枚のキルトの上に寝て、好きなだけその上からかけることができるのだが、それに対して貧者は、2枚か3枚で満足しなければならない。そしてもちろん、「布団」には多くの種類がある。それこそ、 西洋では暖炉のそばに敷いているような敷物程度の大きさしかなく、しかもそれよりさほど分厚いわけでもない、使用人たちが使う木綿の布団から、長さ8尺で幅7尺の、裕福な金持ちだけが買える、厚くふっくらして極上の絹布団まで、さまざまである。更に、「夜着(よぎ)」というのもあって、これは「着物」のように大きな袖がついた大きなキルトであり、極端に寒い時には、これを着るとかなり快適だろう。これらのもの全ては、きちんと折り畳まれ、壁の中に設計され、「襖(多くの場合、繊細で上品な意匠が凝らされた不透明な紙で覆われている、魅力的な横開きの仕切り戸)」で閉じられた空間の中に、日中はしまい込まれてしまうのだ。また、そこには例の妙な木製の枕もしまわれる。この枕というのは、日本式の髪が眠っている間に乱れたりしないように作られたものである。
 この枕には、ある種の神聖さが宿るのだが、しかしこの枕に関する信仰の起源と、それから正確にはその信仰がどのようなものであるのかについて、私はこれまでに学ぶことができていない。ただし、以下のことだけは知っている。すなわち、その枕に足で触れることが、甚だ悪いことだとされているということを、それから、たとえそれが不慮の事故であっても、もしその枕が蹴られるとか、あるいはそのように動かされるといったことがあれば、そのような不注意を償うために、人は枕を両手で額まで持ち上げ、「私が許されるように祈ります」という意味の「ごめん」という言葉を言いながら、元の位置へと、うやうやしく置き直さねばならないということを、である。]

さて、人の世の常として、夜が涼しくて寝床が心地の良いものであればなおさらのことであるが、たっぷりの温かい酒を飲んだ者は、その後でぐっすりと眠るものである。しかし、その行商人は、ほんの少しの間しか眠らぬうちに、彼の部屋の中の声によって、いつも同じ問いをお互いに投げかけている子供の声によって、目を覚ました。その声は、「あにさん、寒かろう?」「お前、寒かろう?」と話していた。彼の部屋に子供がいたとしたら、彼はむっとするかもしれないが、しかし、驚くことはない。というのも、このような日本の宿には、部屋と部屋との間に「襖(ふすま)」が用意されているだけで、扉はなかったからである。そのため彼にとって、このことは、どこかの子どもが、暗闇の中で彼の部屋にまちがって迷い込んでしまったに違いないと思われた。それでその行商人は、なにか穏やかな小言を発した。ほんの一瞬だけ沈黙が訪れた。その後、可愛らしく、かぼそく、悲しげな声が、彼の耳元で「あにさん、寒かろう?(お兄さん、もしや寒いのではありませんか?)」と尋ね、そしてもうひとつの可愛らしい声がいたわるように「お前、寒かろう?(いやむしろ、汝こそ寒いのでしょう?)」と答えた。
 彼は起き上がって、「行灯(あんどん)」の中の蝋燭にふたたび火をつけ、部屋を見回した。誰もいなかった。「障子」は全て閉まっていた。彼は押入れの中も調べたが、空っぽだった。彼はいぶかりながらも、行灯の火を灯したままで、再び横になった。するとすぐさま、声はまた、ぶつぶつと枕元で話した。
 「あにさん、寒かろう?」
 「お前、寒かろう?」
 そのとき、初めて、彼は冷気が這い上がって来るのを感じてぞっとした。そしてその冷気というのは、夜の冷気ではなかった。彼は、何度も何度もその声を耳にし、その度にますます恐ろしくなっていった。というのも、彼はその声が布団の中にいると気づいたからである。このように声を上げていたのは、掛け布団だったのだ。
 彼は大急ぎでわずかな荷物をひとまとめにして、そして、階段を駆け下り、宿の主人を起こして何が起こったのかを語った。すると主人は、ひどく憤慨して、「はっきり申し上げますが、お客様を喜ばせるためにこそ、万事がなされたのです。しかし、お客様が高級なお酒をあまりに飲んでしまわれたので、お客様は悪い夢でもご覧になったのでしょう。」と答えた。それでもなお、行商人は、ただちに彼の部屋の支払いを済ませ、そしてどこか他で泊まるところを探すと言い張った。
 次の夜、その宿にはまた別の客がやって来て、その晩を過ごすための部屋を求めた。そしてその夜更けに、主人はその客にまた同じ話を聞かされて起こされた。そしてこの客は、奇妙なことに、酒を一滴も飲んでなどいなかった。それで主人は、この宿屋の商売を台無しにしようとしている、嫉妬深いたくらみでもあるのではないかと思ったので、感情をむき出しにして、次のように答えた。「まさにあなた様のお気に召すようにと、万事がきちんとなされたのです。それなのに、あなたは縁起の悪い、人を困らせるような言葉を口にされます。そして、私の宿屋は私の生活手段なのだということ、これもあなたはご存知でしょう。いったい何のためにそんなことをおっしゃるんですか。なんの道理もありはしません!」と。するとその客は、感情的になって、はるかに酷いことを大声で言い返した。こうして両者はひどい喧嘩別れとなった。
 しかし、客が帰ったあとで、この宿屋の主人は、これまでのことがどうにもおかしいと思ったので、布団をよく調べてみるために例の空き部屋へと上がっていった。そして彼がそこにいる間に、彼は例の声を聞いた。主人は、客達が本当のことしか述べていなかったのだと気がついた。声を上げている布団は、1枚、たった1枚だけだった。残りの布団は黙っていた。主人は、その布団を彼の部屋へと持っていって、夜の残りの時間は、その布団の下で横になった。そして、例の声は夜明けごろまでずっと続いた。「あにさん、寒かろう?」「お前、寒かろう?」と。それで、主人は眠ることができなかった。
 しかし、夜明けに主人は起き上がり、この布団を購入した「古手屋」の店主を探しに、外へ出た。その古手屋は何も知らなかった。その店主は、この布団をもっと小さな店から買っていて、そしてその小さな店の店主もこの布団をさらに貧しい、この街の最も辺鄙な郊外に住んでいる業者から購入していたのだ。それで、宿家の主人はこれらの店々をひとつずつ訪れ、事情を尋ねてまわった。
 こうしてついに、その布団はもともと、ある貧しい家族のものであったということ、そして、この布団は、その家族がかつて住んでいた郊外の小さな家の家主から、購入されたものであるということが分かった。さて、この布団に関する話は以下の通りだ。

 その小さな家の家賃はひと月たった「60銭」であった。しかしこの額ですら、貧しい人々が工面するとなると、大金であった。父親は月にたった2円か3円かしか稼げず、また母親は、病弱で働くことが出来なかった。しかも、この家族には子どもがふたりいた。6歳の男の子と、8歳の男の子である。そしてこの家族は、鳥取に外から移り住んできた者たちであった。
 ある冬の日、その家の父親が病気になった。そして1週間病んだのちに、亡くなり、そして埋葬された。それから、長いこと病を患っていた母親も、夫の後を追うように亡くなった。そして、子供たちだけが残された。子供たちは、助けを求めることが出来るような人を、誰も知らなかった。だから、生きるために、売れるものはなんでも売り始めた。
 売れるものが多くあるわけではなかった。死んだ両親の衣類、子供たち自身の衣服の大部分、幾らかの木綿のキルト、そして火鉢、お椀、湯呑み、その他つまらぬものといった、粗末な家財道具がわずかにあるばかりである。毎日、彼らは何かを売っていき、そしてとうとう一枚の布団だけが残った。ある日、ついに食べ物が底を尽きた。そして家賃は、払われていなかった。
 「大寒(だいかん)」と呼ばれる、最も酷寒となる時季がやってきた。そしてその日、あまりに雪が深く積もっていたので、兄弟はその小さい家から遠くへ離れ出ていくこともできなかった。だから、彼らは一枚の布団の下におり、一緒に震えて、子供らしく、「あにさん、寒かろう?」「お前、寒かろう?」と、お互いになぐさめあうことしかできなかったのである。
 彼らには火もなかったし、何か火を起こせるようなものもなかった。闇が訪れて、氷のように冷たい風が、その小さな家の中に音を立てて吹き込んでいた。
 彼らはその風が恐かったが、大家の方がもっと怖かった。その大家は、子どもらを叩き起こして、家賃を要求するのである。この大家は、人相も悪く、無情な男だった。大家は、自分に支払えるようなものを何ひとつ子どもらが持っていないのだと分かると、この兄弟を雪の中へと追いやり、そして兄弟からたった1枚の布団までをも取り上げ、家から閉め出したのである。
他の服はすべて、食べ物を買うために売ってしまっていたので、この兄弟は、薄く青い着物をめいめいにただ一枚だけ着ているのみとなった。そして兄弟には、行くあてもなかった。そう遠くないところに観音堂があったが、あまりに雪が高かったので、彼らがそこにたどり着くことは出来なかった。だから、例の大家が立ち去ったあとで、兄弟は家の裏にまた這い戻ったのである。そしてそこで、寒さからくる眠気が彼らを襲った。お互いをあたためようと抱きあいながら、彼らは眠った。兄弟が眠っている間、神々は彼らに、霊的なほど白く美しい、新しい布団をかけてやった。だから彼らはもうこれ以上、寒さを感じることはなかった。それから何日も、彼らはそこで眠った。その後、誰かが彼らを見つけ、千手観音堂の「墓場」に彼らのための寝床が設けられた。以上の次第を聞いて、宿屋の主人は、その布団を寺の僧侶らに渡し、この小さな魂たちのために読経をしてもらった。それ以降、この布団は話さなくなった。
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