垂直落下式サミング

心霊 首なし地蔵の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

心霊 首なし地蔵(1996年製作の映画)
3.9
③「首なし地蔵」
病院の怪、海の怪、現代劇がふたつ続いて、最後は古典的な日本昔話へとタイムスリップ。このツイストのきいた手管の多さが、いろんなおはなしのよりあわせの怪談ライブ(もしくは妖怪百物語)を、そのまま映像化したような思索にマッチした試みだったと思う。
母が子をおもう気持ちが強いために、神仏を敬う心を欠いたおこないをしてしまう。その代償のはなし。
ジャパニーズホラーのような、ビデオみたら死にますとか、電話に出たら死にますみたいな、原因と行動に因果関係のない不条理呪殺ではなく、こういうバチアタリなことをすると、それなりのことが身にふりかかりますよって因果応報の教訓話として描いている。
迷信深い昔の人が地域で語り継いできたような怪奇譚には、共同体のなかで生きる上での知恵があり、ただ恐ろしいスラッシャーでは接種できないある種の安心を得られるので、いろんな怖いはなしをきいたあとで、最後にしっぽり締めるにはもってこい。
お佳代さん…。眉なし美人はこわい。生え際の下はひろいおでこ、そのしたに大きな目玉がギョロギョロ動きまわり、目の下は塗り込んだようなクマで落ち窪んでいる。ただでさえ不健康そうなのに、この女の人が、どんどんげっそりやつれていくのが、悲しくて、哀れで、見るに堪えなかった。
子供を背負い、片手に提灯、もう片手に地蔵の首を持って、真っ暗な山道を帰ってくるときの視覚的な手詰まり感と相まって、よりいっそう寄る辺なさを増している。
道中、「おいてけ、おいてけ。」と後ろから迫ってくる忠告に逆らい続けた彼女には、並みの人間では抱えきれないほどの呪いが堆積されていっているかのような雰囲気で、あの結末もやむなしと思えるような昔ながらのクラシカルな怪奇譚だった。
うちの実家のへんにも、首なし地蔵あるんだけど、これは明治初期に各地でおこなわれた廃仏毀釈の影響らしい。ありきたりでつまんねー。だから、過疎化すんだよ。おもしろい怪奇ばなしのひとつでもあればいいのに…。


稲川淳二の怪談の映像化ってどうなの?って最初は期待してなかったけど、かなりいい線いってるほうだった。下手な人がつくったらもっとスベりそうなところを、うまく見せていたと思います。