むっしゅたいやき

ヴェルクマイスター・ハーモニーのむっしゅたいやきのレビュー・感想・評価

4.5
分断と扇動への警句。
ベーラ・タル。
凡そ二年前に鑑賞した作品であるが、自分でも理解が至らぬ想いが有り、今回再見した。
その中で─幾分恣意的な解釈も有ろうが─新たな気付きを得た為レビューを再掲するものである。

アンドレアス・ヴェルクマイスターは、17世紀後期のドイツの人である。
不勉強で詳しくは知らぬが、どうやら現在使用されている、「1オクターブ=12の半音」と云う音律を規定した偉人であるらしい。
本作は、そのヴェルクマイスターの事績をリスペクト─但し主に功罪で云う根源的な罪の面を、であるが─した作品である。

学生の頃より極稀に、心に浮かんでは消えて行く疑問に「不如帰の声は楽譜に表せるのか」、と云う物がある。
音楽理論に疎い私には、どうしても其れが表せる様には思われない。
枯葉の地に落ちる音、木の葉のざわめき、川のせせらぎ等も同様であり、自然音を人工に奏でる事は不可能なのでは、と思われる。
即ち、元々の自然音を区分しようとしても、例え何オクターブ有ろうと表せない、微妙な音階が有るのではないか、と思われるのである。

本作の中で、主人公ヤノーシュの友人、エステルは云う。
「ピタゴラスへ回帰せよ」、と。
彼の言う“ピタゴラス律”は、グレゴリオ聖歌の頃迄使用された音律であり、単一音を基調としていてポリフォニーには不向きな面を持つ。
この為、和音に関しては「神の領域」として区分化を拒否した。
ポリフォニーが主流となった時代に生きたヴェルクマイスターの闘いは、不協和音(≒『区分』から漏れた音)との闘いであり、如何に其れをより自然に、音のうねりを少なくして音律と云うシステムに組み込むかの闘いである。

此処で一旦作品から離れ、周りを観てみよう。
現在我々を取り巻く環境に、既視感は無いであろうか。
肌の色、世代、貧富、国籍、上級国民と一般国民、正常と異常─、これ等自然として渾然一体でその儘にして在る物を、我々は区分し、優劣をつけて居ないであろうか。
ジェンダーを例に採ると、「男なのに─」「女だてらに─」と思った事は有るまいか。
それ等の境界上に数多存在する、曖昧な不協和音≒自己の中での固定概念から幾分か外れた者─にまで其れを適用し、分断していまいか。
本作に於いてもヤノーシュの住む貧困であるが平等な村社会は、これに因って崩壊する。

『区分』は分母の大きな物事を細分化し、理解を共有する事に関しては都合が良い。
そして為政者が、国民を管理し、自らに向けられる目を逸らす事にも大変都合が良い。
本作のプリンスの例に見られる様に、大きな夢─クジラ─さえ見させれば、ルサンチマンを溜めた大衆は実に扇動され易いものなのである。
例えそれが内実の伴わない、スカスカの張りぼてであっても。

本作はタルのフィルモグラフィに於いて、前作『サタンタンゴ』と同様、物に動じ易く、不安定な大衆を画いた作品である。
唯一救いなのは、本作では入院中の患者を見、暴徒等が落ち着きを取り戻すと云う‘希望’を見出せた事であろうか。
─それもシニカルに見れば、『最も悲惨な者を見、自己の境遇に安堵し、安穏とする』大衆の愚かさを画いた様にも見られるが。

ミシェル・フーコー著『監獄の誕生』、並びに『狂気の歴史』。
私にはあれ等の名著と本作は、異口同音に「分断」への警句を発している様に思われる。
何れも一読一見の価値の有る、非常に内容の濃い作品であろう。

評価に当たっては、私自身の嗜好を反映させている。
本作もどちらかと言うと実証的作品になろうが、個人的な評価基準としては物語性にこそ注視したい。
恐縮乍らこのスコアとする。



2020.5.4
『ニーチェの馬』に続き、二本目のタル・ベーラ作品。
前者がニーチェの云う、『本人が認識していない不幸』を描いた実証的映画であり、個人的に余り評価していなかった為、少し忌避感が有りながらの視聴です。

一つの村と主人公が壊れて行く過程を映した本作。
人が無知故に、本来無害であるものを恐れ、周りを巻き込みながら不穏な空気を醸成し、扇動もあって遂には暴徒と化す様がメリハリの効いた構図、長回しの間を置いたショットで描かれています。
事後の虚しさと倦怠感、とても叙情的な劇伴が印象に残りました。
それ等を評価し、点数をつけています。

ただ、恐らくこの作品のテーマはそうした事ではなく、エステルが話し、且つタイトルにもある通り『既に確定された調和』では無く、『不調和から新たに見出された調和』だと思われます。
残念ですが私にはこの映画から、そのテーマに添う寓意を見出す事が出来ませんでした。
高得点をつけている皆さんは、どの様なメタファーを広場に残されたクジラから受け取られているのでしょうか。
破壊された広場に残る、圧倒的に美しい造形物としての動物、これが『不調和の中から現れた調和』なのでしょうか。

視聴直後な事もありますが、中々読み解くことが難しい作品です。
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