『ロッキー5』を観た後、なんとなく無意識に部屋でシャドーボクシングしてしまったんですよね。
よく、『ロッキー』を観た後は無性にトレーニングをしたくなる、と都市伝説のように聞いてたけど、すっかり運動不足な自分すらもそうなってしまったのかと、少し嬉しくなりました。このシリーズは、確かに「何か自分もやってみなきゃな」とそう思わせるものがあるような気がします。
…そんな事を思った後に、この『ファイナル』の試合とエンドロールを見せらるわけですよ。
それは泣くでしょう!!!???なんなんすか!!!!ずるいよ!!!ロッキーずるいよ!!!
ロッキー・バルボアの話は、思えば一作目から完全におとぎ話で、でもそのおとぎ話映画の持つパワーに突き動かされる人がいたからこそ指示されたのだと思う。
でも、その続編は、話としてはそんなに変わらなくても、やればやるほどそのおとぎ話がおとぎ話である、と気づかされてしまうような話だったから、観客からも批評家からも冷笑される結果になってしまったのかな、となんとなく思う。
この『ファイナル』も、基本的にはそのおとぎ話ではある。ていうか完全に引退した元ボクサーが、ロッキーとはいえ現チャンピオンと戦うなんて、1作目より突飛なおとぎ話ですよ。
でも、1作目と同じく、妻エイドリアンや、引退後の身のふり方、親友との関係、息子との関係といった、彼の人生の描き方がとても丁寧に、そして2000年代以降のリアルな描写で描かれていたからこそ、ここまで感動できたのかなと思う。
シリーズを観てきたから、と言うのもあると思うけど、彼がオープニングで目覚まし時計を押して「目覚める」瞬間と、その目覚まし時計の横にある写真立てを見るだけでもかなりグッときてしまうんですよね。
さらに亀に餌をやったり、くだらないオヤジギャグを口にしたり、そういう仕草ひとつとっても、このロッキーという人物の「地下室」に眠る熱いものを感じずにはいられない。
彼のトレーニングシーンにテーマ曲が流れて以降は、ほとんど1作目のリフレインだけど、その描き方もまた現代的。
特に試合シーンは、本物のボクシングの試合の中継風の、これもまた2000年代の「今」な雰囲気。やっぱりこういう演出に慣れている今観ると、過去作よりこっちの方がテンションあがっちゃいますね…
そして、今作と1作目の1番の共通点は、試合の行方ですよね。
試合の結果を越えたところに見出されるものにこそ、試合を観ている観客も映画を観ている観客も感動してしまう。やっぱり泣けちゃうんですよ…
そして、エンドロール。
おとぎ話、もといフィクションの力の凄さがこのエンドロール見るだけでもわかるよね…ここもまた落涙ですよ。年末ということもあってかさらにグッときちゃいましたよね…
いやー。これが今年最後の映画になったのは結果的に本当に良かった。そして年始最初の新作映画は『クリード』にできるぜ!