青山祐介

リスボン物語の青山祐介のレビュー・感想・評価

リスボン物語(1995年製作の映画)
4.0
― 私は自分自身の旅人
そよ風の中に音楽を聞く
私のさまよえる魂も
ひとつの旅の音楽 ― フェルナンド・ペソア

「リスボン物語(Lisbon Story)」を観ていると、さまざまな視点から、また沢山のことを語りたくなる誘惑にあらがうことができなくなります。
誕生から100年を迎えた映画への想い、映画の夢、映画草創期の手回しの木製バルヴォ型の撮影機、録音の技術、サウンド・マン、ドキュメンタリー映画の撮影方法、リュディガー・フォーグラー、ロード・ムービー、アドレデウスの音楽、テレーザ・サルゲイロの歌、フェデリコ・フェリーニ、マノエル・ド・オリヴェイラ、ヴィム・ヴェンダースといった監督たち、ポルトガルの海、ポルトガルの涙、ポルトガルの郷愁、明るい太陽、街の音、テージョ川、そして、ペアソのリスボン、この映画はペソアに誘われ、さまよう魂の旅行記なのです。そこには、詩人フェルナンド・ペソア(Fernando Pessoa)の姿が、あるいは、その「異名者たち」の影が、「あらゆる場に」あらわれ、また「あらゆる人」の音楽と言葉になって、聞こえてくるような、あやしげな思いにとらわれてしまいそうになります。
1988年、ペソアの未発表原稿が詰まった「トランク」の中に、リスボン市の観光ガイド・ブック≪ペソアと歩くリスボン( LISBOA:O QUE O TURTSTA DEVE VER)≫が発見されました。出版は1993年。私は、この本と詩集を案内人として、リスボンの街中を歩き回り、ペソアを探すための魂の旅に出ることにしました。

― 私は何者でもない。
けっして何者にもならないだろう。
何者にもならないことを欲することはできない。
それさえ別にすれば、私のなかには世界のすべての夢がある…
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私はなぜ、あらゆる人、あらゆる場ではないのか ―
異名者:アルヴァロ・デ・カンボス(異名者の数は72名にもなる)

『本質的なことは見ることを学ぶことだ。考えずに見ることを。見ているときに見ることを学ぶことだ。見ているときに考えたり、考えているときに見たりしないで…』それがこの映画を観る楽しみ方なのです。異名者:アルベルト・カエイロ
青山祐介

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