ninjiro

綿の国星のninjiroのレビュー・感想・評価

綿の国星(1984年製作の映画)
3.4
一瞬の夕映えが終わるまで、弱々しい朽葉色の光のなかに常盤木はその葉表を艶やかに光らせる。
遠き山に陽は落ちて、やがて真夜中ゆっくりと、冷えた空気はその山を越えて遥か遠くに澄み渡り、闇に針を通したような微かな一点を一層冷たく尖らせる。

打ち捨てられた採石場、人の踏むことのない秘密の砂利道、いつかの雨が小さく流れた痕を遺す土の坂道。地面近くに親しみ暮らす小さな子どもたちも、更に小さな犬や猫、小さな生命たちはより近くに目の前に現れた剥き出しの光景を、胸を踊らす光や翠や水や碧を雑然と点や線で結び、いつかは青空により近く、雨空の日にはより多くの愛の雨を浴び、心は喜びの芽を永遠に結ぶと信じて疑わない。

冷んやりと、心にいつかの風景を抱くあの空により近いはずの私たちは、冬の空気が他と較べて少しだけ綺麗なことを知っていても、その空の凛とした澄み様などを無為に眺めることも絶えて少なく、誰かの確かな温もりも、随分永いこと離れてしまった足元の小さな草花や、懐かしい景色やその匂いもつい忘れてしまう。

狂おしい程に愛しく想う気持ちが例えば同じ量であったとしても、小さな心臓が小さく弾く微かな音の間隔は、愛する誰かのそれとはどんどん離れて、その数はいくら望んでも止まることなく積み重なってしまう。
いくら空を見上げても、いくら助けを求めても、その向こうに神様なんていない。
この目に見えない程に遠く空の上、広がる一面真っ白な綿の海、いくら言葉で飾っても知っている、それはきっと夢でしかない。

水をたたえた笹の葉が風に揺られて擦れ合う音は、冬を越えて、春を迎えて、やっとその音を乾いたものに変える。
すれ違うようにして、誰がどう産まれたのか、何の為に産まれたのか、その意味を考えることなく新しい生命はまた陽を受けて育って行く。
日和見な世の中も日和見な自分も、何もかもを乗せて、夜の海図は今日もゆっくりと進んで行く。
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