Ryo

ブロークバック・マウンテンのRyoのレビュー・感想・評価

4.2
友情が愛に変わる。失楽園の話。
「強い男」としての理想像―カウボーイ、ロデオ、そして父親

失楽園的にこの映画を解釈すると、アダム=イニス、イヴ=ジャック、神=アギーレ(雇い主)となり、 イニスがコヨーテを仕留めた話の中で「リンゴ並みのタマだった」と言ってることから、 知恵の実=タマということになります。イニスとジャックは、アギーレの言いつけを破って、夜、羊番をしなかったため、 アギーレの怒りに触れ、楽園=ブロークバック・マウンテンを下ろされ、 以来2度と戻ることが出来なかったという、典型的ともいえる失楽園のスタイルです。
楽園を追われたアダムとイブがどうなっかたというと、 イヴは「男を求め、男に支配される」ようになり、アダムは「生涯食べ物を得ようと苦しむ」ようになったとのこと。 まるで、ジャックとイニス、そのものですね。山を下りれば、そこは社会の目が光る現実の世界です。
山を降りた地上の世界はブロークバック・マウンテンとは正反対の世界でした。この世界には、「常識」なるものが存在し、既成概念の枠から外れた者は容赦なく断罪されます。1960年代、保守的で閉鎖的なアメリカの田舎町で、イニスやジャックのような同性愛の関係に対する風当たりは強く、同性愛者は孤独感や疎外感を味わうのみならず、はては生命の危険すら覚悟しなくてはなりませんでした。

 現実に疲れた彼らは再び、ブロークバック・マウンテンへと戻ってきました。あの理想郷は今度も彼らを優しい包容力をもって迎えてくれます。しかし、この関係は世間に明らかにされてはならない関係でした。山を下りれば待ち受けている厳しい現実。理想と現実、落差の激しい二つの世界の繰り返しに、イニスもジャックも疲れ始めます。しかし、二人はこの現状をどうすることもできませんでした。彼らはこの苦しみから逃れるために、現実世界で別の愛情関係を作ろうとします。イニスは酒場で出会った女と、ジャックはテキサスに牧場を持つ男と。しかし、その結末は失敗が目に見えているものでした。


イニスがジャックの妻に電話で、彼の死に様について聞いた時
リンチを受けるジャックの姿をイメージしています。
これ、映画を見た限りでは単なるイニスのトラウマ再現、
思い込みに過ぎない様に感じますが
パンフの解説では「彼は直感的に、ゲイバッシングのリンチによって
命を落としたのだと悟る。」と、断定しています。

ラストシーンも素晴らしくジャックの家に行き彼のデニムシャツを持って帰るときはイニスの無くしたはずのシャツにジャックのシャツが覆いかぶさっていまいた。しかしラストはイニスの着ていたシャツをジャックのデニムシャツに被せ抱くような演出に感動しました。



ジャックは、全裸で体を洗うイニスを見ようともしないのはなぜ?
恥ずかしくて見られないのかもしれないし、あるいは、 男の裸に興味があると思われたくないから見られないのかもしれません。 初心(ウブ)な男子が好きな女子の裸を見たいけど見られないといった心理と同じなのでしょう。
 全裸シーンの前、イニスが上半身裸でブーツを脱ぐとき、 ジャックが缶のフタを開け損なったのは、イニスに意識がいってたためかもしれません。

ジャックと別れたあと、なぜイニスは吐いたの?
ジャックと別れたつらさから、「泣く」を超えて「嗚咽を漏らす」といった状態だったのでしょう。 原作によると、イニスは『腹がとんでもなく痛く』なったが、その原因がわからなかったとあります。

2人の主人公が一緒に住んだら殺されるから住まなかったのは実際にアメリカの牧場でカウボーイがゲイをリンチし殺したという事件があるから。

それでも20年以上愛し合っている事に感動。

ーラストー
ラストのセリフ[Jack I swear.(ジャック永遠に一緒だ)]の和訳で色々と議論されてますが、あれは離婚し、娘が結婚すると聞き、ジャックにも先立たれた孤独の彼の愛の言葉であり、単純に愛してる、永遠に一緒だのままで問題ないと思う。