イルーナ

エド・ウッドのイルーナのレビュー・感想・評価

エド・ウッド(1994年製作の映画)
4.8
史上最低の映画監督と呼ばれたエド・ウッド。
その奇妙な生きざまを、彼の大ファンであるティム・バートンが映画化。
生前見向きもされなかった最低監督の物語を、ハリウッドトップクラスの監督が手がけるという、ある意味ミラクルな組み合わせ。
ですが、同じはぐれ者タイプだったバートンには通じるものがたくさんあったのでしょう。
彼のエドに対する評を読むと、胸がギュッと締め付けられるものがあります。例えば
「成功と失敗の間、才能と無能の間にはほんのわずかな差しかないんだ。そのどちらかに転ぶかは、みんなが思っているよりずっとわずかな差なんだ」
どうです、琴線に触れるものがあるでしょう?
『エド・ウッドとサイテー映画の世界』からの抜粋ですが、全文は本当に涙腺崩壊ものの内容なので、もし読む機会があれば必見です。

まずOPから、エドへの愛情があふれていてハートフル。
クリズウェルに灰皿にしか見えないUFOに大ダコと、事前に『プラン9・フロム・アウタースペース』や『怪物の花嫁』を観たらなお感慨深いでしょう。
と同時に、エドとの才能の差をこれでもかと見せつけてくる。
仕事しまくるカメラワークにストップモーションで動くタコの脚。その他諸々。
多分エドとしては、このOPのレベルのものを作っているつもりだったんだろうなぁ……
(ちなみに棺桶からクリズウェルが起き上がってくるのは『ナイト・オブ・ザ・グールス』という作品が元ネタらしいですが、観た人の感想によると「本当に退屈なだけなので観ない方がいい」とのこと……)

俳優たちも全員実際のエドと仲間たちそっくりで、その作りこみはとてもリアル。
この映画の撮影中に偶然エドの妻のキャシーさんが来た時、女装するジョニデの姿を見て「あらまあ、エドにそっくり」とお墨付きをもらったという。
……エドがルゴシが亡くなった後、耳の形が似ているというだけで整体の先生を、顔を半分隠す形で代役起用したのとは大違いだ。

本作で描かれる時期は、『グレンとグレンダ』~『プラン9』を完成させるまで。
作った映画はつまらなくても、エド自身のキャラがやたら濃くて、映画よりはるかに面白い。
彼の周りに集まるのは奇人ばかり、おまけに本人も女装癖持ち。そのくせ妙に口が達者なので、何だかんだで資金集めに成功して映画を作れてしまう。
映画監督ではなく、プロデューサーあたりだったらいい線行ってたのでは……?
しかし、映画の他にも小説なりイラストなり、創作に憧れた人は数多くいるはず。
で、実際に作ってみると、いかに難しいことか痛感させられる。
何とか完成させても、後から振り返って「こんな酷いのを作ってしまった!恥ずかし~!」となって辞めてしまいがちですが、エドにはそれがない。
とにかく、明らかなミステイクがあろうと、観客はそんな細かいこと気にしないから!とお構いなし。
映画の質は一切気にせず、とにかく映画を作り続けること、完成させることが第一。出資する側からしたらたまったもんじゃない。
そんな彼と仲間たちの生きざまを愉快に、時に切なく描き出す。
ルゴシとのやり取りは、分かっていてもやはりジーンと来てしまう。
落ちぶれて孤独に過ごしていた所に、子供ほど年の離れた後輩が無邪気に慕ってくれる。
例えその時に出た作品が最低映画だろうと、この出会いは本当に救いだったんだろうなと……

クライマックスで、ついに憧れのオーソン・ウェルズとの邂逅を果たし、天啓を受けるエド。
「夢のためなら闘え。他人の夢を撮ってどうする?」
すべての夢追い人への熱いエールですが、完成した『プラン9』の出来がやっぱり最低なのは皆さんご存じの通り。
一見夢を叶えてハッピーエンドに見えるけど、音楽がだんだんと不穏になっていき……
登場人物たちのその後が語られるのですが、エドだけは「末路」と言った方がしっくりくる結末。
壮大な空回り人生。だんだんと映画が撮れなくなっていって、夢から覚めたような気持ちで生きていたのでしょうか。
でも、それだけの情熱が認められて、(かなり歪んだ形かもしれないけど)今や映画史に残るカルト作として名を残しているわけで。
どんなに才能が無くても、何かに一生懸命取り組む人はいつの時代も魅力的で、胸を打つものです。
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