Few

二十四の瞳のFewのネタバレレビュー・内容・結末

二十四の瞳(1954年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます


なんて言えばいいんだろう。

戦争や、病気、貧困で亡くなっていく
同窓生にたいして、
「かわいそうだね」といって悲しむ場面がいくつもある。
けど以上の、もっと複雑にいりくんで、矛盾だらけでぐちゃぐちゃの感情が、この時代の人たちは抱えていて、
その感情の編み目が、
わたしの目の前にまで広がってきたような気がした。

たとえば。
誰かがなくなるたびに、
戦争だから仕方ないと言いつつも、
仕方ないなんてこれっぽちも思っていないだろう。
けれど、本当に口にしてしまいたいことは、言葉にすることさえできない。
いや、自分の本心なんて知りたくないのかもしれない。

そして、
周りがなんとなく幸せそうだけど、自分はどうしてもその幸せに居られなくなった子供が何人もいる。
女の子ばかりだった。
彼女らの苦しいのに、あがくこともできない顔の歪みが忘れられない。
特に、修学旅行帰りの同窓生を、堤防に沿って泣きながら追いかける松江ちゃん。
蒼くどこまでもつづく海に旅立った彼らを、松江ちゃんは堤防より先へ踏み入ることすらできないのだ。(この対比を視覚的にみせる技術も鳥肌ものです)

男女の格差が、こんな子供の頃から当たり前に体に染み込むように世の中が回っているのだ。

女の子の苦しみと、男の子の苦しみは違ったななんて思ってしまうこともできるが、
性別という生まれつきのどうしようもないことで、自分らの人生が決まっていることに、気付かないことが、苦しみなんだよ。

戦争の苦しみは、目にはみえなくて、
痛みだって、
ずいぶんと遅れてやってくるんだよ。

目がみえなくなった男の子が、
「この写真はみえる」と言ったときに、
わたし、喉がつまって、息が止まったんです。

どれだけこの写真をみかえして、
触って、当時を思い出して、懐かしんで、
一人一人に思いを馳せてたんだろうって、
ものの数秒でかんがえる。
きっと、戦地にいた人たちもそうだった。
置いてきた家族や恋人のことを、
目の前にいなくても、
きっとみてたんじゃないかな。
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