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浮き雲のnetfilmsのレビュー・感想・評価

浮き雲(1996年製作の映画)
4.0
 黒人ピアニストの人生の全てを1曲にしたためたような美しい調べが、レストラン中に鳴り響いている。ここはフィンランドの由緒正しきレストラン「ドゥブロヴニク」。給仕長を務めるイロナ(カティ・オウティネン)は礼節を重んじたプロの接客でお客様一人一人に向き合う。やがて給仕の一人が深刻な表情で彼女を呼びつける。屈強なメラルティン(サカリ・クオスマネン)に目で合図を送り、厨房に急いでやって来た彼女の前には、ウォッカの瓶を握りしめながら叫ぶアルコール依存症の料理長のラユネン(マルク・ペルトラ)の姿があった。メラルティンが同僚の説得をしようと前方に歩み寄るが、今度ばかりはと意志の固いラユネンに切りつけられる。その現場をイロナは厳格で的確に対処する。こんな事件がいったい何度繰り広げられたことだろう?安堵の表情を浮かべた彼女はレストランを出ると、疲れを見せることなく路面電車に飛び乗る。彼女は席に着く様子もなく、そのまま運転席の男と挨拶程度のキスを交わす。その運転手こそ、彼女の夫で路面電車のドライバーのラウリ(カリ・ヴァーナネン)だった。彼女はまだ運転の続く夫に別れを告げた後、軽やかに列車を降りる。その下には細やかに落ち葉が拡がっていた。

 絵に描いたような慎ましい暮らしをする幸福な2人。だが落ち葉の季節は不吉な予兆を隠しきれないまま、ゆっくりと2人に忍び寄る。いや、当時のフィンランドという国全体が見えない危機に直面していたと言ってもいい。ソビエト社会主義共和国連邦の崩壊により始まった通貨危機は、フィンランドの経済をどん底に叩きつけた。夫は不況の煽りを受けたリストラの一環として、トランプの数字が若かっただけで首を切られる。そんな夫の姿を心配そうな面持ちで見つめていた妻の伝統あるレストランも、銀行に仕組まれた買収劇で長年の歴史にピリオドを打つ。『マッチ工場の少女』で母娘だったカティ・オウティネンとエリナ・サロは、ここでは「ドゥブロヴニク」の雇用主と部下として再度共演を果たす。『浮雲』というタイトルは成瀬巳喜男にもあったが(アキが敬愛する小津安二郎のタイトルは『浮き草』だったか)、奥行きをあまり感じさせない絵画的な作風が印象深い。仕事が見つからず、途方に暮れたイロナが、遺影写真の赤ん坊に縋るようにもたれかかる印象的な場面。中盤あたりに唐突に、だがしっかりと描かれたこの絵画的な構図と女の陰影には、ダグラス・サークの影響が滲む。まるで『マッチ工場の少女』の続編のような女性の受難の物語だが、生きてさえいれば、そう遠くない未来に春の芽ぶきはやって来る。
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