きんぽうげ

浮き雲のきんぽうげのネタバレレビュー・内容・結末

浮き雲(1996年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

久しぶりに観るアキ-カウリスマキの映画。彼の映画を初めて観てから何年ぐらいの時が経ったであろう。結構、当時は衝撃的な感じを持っていたのだけれど、その毒に慣れたというか、毒が少なくなったのか、ブラックなユーモアは少し軽くなった分、ラストもハッピーエンドであった。
しかし、フィンランドという国は明るさというのは、無いのだろうか。確かに北欧は太陽の恵みが、他の国々から比べると少ないし、その気候は、そこに住む人々に少なくとも影響を与えているとは思うけれど、実際の暮らしぶりというのは、どういうものなのだろうか、分からなくなってきた。
市電の運転手とレストランの給仕長という組み合わせの夫婦が、時を同じうくして、職を失ってしまうところから物語は始まるので、全く希望のない暗い話である。ほとんどの題材が、こういった傾向の主人公ばかりなのだが、(絶望的なマッチ工場の少女、自殺願望を持つ元水道局員、売れない芸術家等々)今回も生活をしていくために必要である最低限の職業をも奪ってしまった。だが、主人公たちは、決して、絶望はせずに、次ぐ次と職を求めていく。いわば、基本的な部分で崩れそうで崩れない人物を追って、笑いを取っている訳である。アキ-カウリスマキは基本的には笑いを目指しているのだろうと思う。その笑いの「笑」が作り事というのではなく、状況としてそのような立場に立たされてしまった者の、ギリギリのラインでの微笑み程度の笑いを目指している。
だから、大笑いをする箇所というのは、全くないはずで、こぼれるような笑いの連続であることからも、これが分かる。
実際の人生の中において、大笑いする事は、どこかに偽りの匂いを嗅がざるを得ないのではないかと、思っている自分にとっては、共感をする笑いなのだけれど、今回はその回数が少ない。意識してそのようにしたのは、何故だろうか?
ラスト、レストランを始めた主人公がうまそうに煙草を吸うところで、この映画のテーマは集約されるのだろうけれど、何か古き善き時代のハリウッドの映画のような感覚さえ覚えた。
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