ジーナ・ローランズという女優の素材の味を最大限に引き出して、ひとつの作品を深淵な傑作に昇華させてる…これはスゴい。
決して一朝一夕では得られない、ジーナの女性としての『風格』や佇まい。それがあればこそ作中に描き出されるコントラストが際立ったんだと思う。
舞台袖という境界から見る対比。
画面という境界に投影されるもの。
観る側からは見えない世界。
外側から見える人物の内面的な部分…
虚の中に実が浮かび上がっていく…
劇中劇のテーマでもある『老いと孤独』も、ひとりの女優の苦悩と葛藤を追い掛けて、重層的な表現に仕上げられている。
演じ切るジーナ・ローランズは圧巻。
いくつものアロマが束ねられ、ブーケとして完成するように、渾然としていた虚実がひとつに溶け合って…融合していく感覚。それによって完成したラストシーン…そのフラクタルのような表現が素晴らしい。
作品自体は案外フラットなんですよ…
だから観測位置を間違えそうになりました。
これはいつもの作品より、もう一歩背後に下がって観てる感じなんですよね(謎)
説明がややこしいんですけど…
ヴァージニア←マートル←ジーナ←(o_o)
マートルが『舞台女優』というのがミソ。
私たちは一番外側から観てる。
この多層な世界で『老い』というモチーフが…ジーナからヴァージニアに継承されてく。その反射が逆行して、ジーナ経由で私たちの目に映る。
多元的な空間が創出されてるんです。
今作で観るべきは、その立体的な構造なんじゃないかな…と。
存在に対する高度なアプローチの仕方。
ひとつの存在の中の複数の存在の表現。
ナンシーの幻影も、マートルから生まれて、マートルの前にだけ姿を現し、殺される…そのプロセスを経ることで、フラクタルの微細領域にヴァージニアが形作られ、それがジーナにも投影される…私たちも『こうありたい自分』と『こうである自分』とがあって、それが乖離しつつ同居して、干渉しつつ自分を形作ってる。
目尻に刻まれたシワのように、表情ひとつ取っても、微細な部分をクローズアップする事でその人の持つものが見えてくるでしょ?
って、全然ちゃんと説明できてないや(爆)
本当に個人的な事なんですが、もっと時間のある時に、腰を据えて観賞して考察して、レビューに臨みたかった。ここ最近、時間的余裕が持ててないんですよねぇ😅
これは落ち着いたらリベンジしたい…
少しの間、フィルマの更新速度が低下する見込みです。皆さんのレビューは楽しくチェックさせていただきますね(*´꒳`*)