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チャドルと生きるのnetfilmsのレビュー・感想・評価

チャドルと生きる(2000年製作の映画)
3.8
 出産シーンの母親の苦痛の絶叫がタイトルバックに鳴り響き、壁一面が白い空間から「おめでとうございます、女の子ですよ」という看護師の明るい報せがある。ただその女性の母親は生まれて来る子供が男の子だと思っていたようで、男の子でないと離縁されてしまうと慌てふためいている。だが病院を出たところで、まったく別の人物にカメラはついていく。このように今作は一向に主となる物語が我々の前に姿を現さない。ある人物を中心に据えようとしたところで、また別の人物の時間に次から次に移っていく。そういう円環構造の中で、出て来る登場人物たちは皆女性で社会に対して息苦しさを感じている。冒頭の母親の産まれた瞬間からの嘆きが象徴するように、女性はイランという国では生まれながらにしてあらゆる不幸を背負う。今朝出所した3人の女性の行く末は明らかに幸福の道などなく、彼女たちは行く先々でたった今子供を捨てようとしている母親や娼婦の女に出会う。途中、3人の女性のうちの1人の女性の父親が玄関先で怒鳴りながら言う言葉がある。「出所などせず中にいた方がマシだ」と。ある意味それは正しい物の見方と言えるのかもしれない。刑務所の外に出ても、この国で生きる困難さは中と外でさほど違いはない。

 『チャドルと生きる』のチャドルとは、イスラム教の女性にとっては一種のドレスコードであり、剥がすことの出来ない因習でもある。全身黒ずくめの異様な出立ちは、冒頭の病院の白い壁との対比ではっきりと明示される。病院に入るときも、彼女たちはチャドルなしでは入ることが出来ない。今朝出所した2人の女性は警察から身を隠すために、チャドルを着用する。チャドルというのはイスラム圏においては、彼女たちの大きな重しになっている。ラストに出て来た厚化粧でカラフルな衣装を来た真に現代的な女性は、チャドルを身につけない存在として最後には投獄されてしまう。「ソルマズ・ゴラミ」という人物は、まさにイランの女性1人1人を現す人物として我々に提示される。冒頭の女性が産まれたことを嘆く母親も、女の子を捨てようとする母親も、身分証もないまま子供を堕胎しようとする女性も、学生だと嘘を付き故郷に帰ろうとする女性も、皆女性として生まれて来ただけで、男性とは違う何倍何十倍ものハンディキャップを背負う。ただパナヒはそういう登場人物たちに対して、あえて救いの手を差し伸べようとはしない。分娩室の小窓から刑務所の小窓へ、円環構造は終わりなき苦しみの無限ループを際立たせる。
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