れおん

花様年華のれおんのレビュー・感想・評価

花様年華(2000年製作の映画)
3.6
 1962年、香港。同じ日に同じアパートに引っ越してきた隣人。"圧迫感"のあるそのアパートに、偶々同じ日に引っ越してきた。男性の名はチャウ、女性の名はチャン。それぞれお互いに家庭を持ち、最初はただの隣人同士であった。ところが、互いの妻と夫の関係に疑念を持ち始めた頃、ただの隣人ではなくなった。共有する時間の長さが徐々に増え、重ね合う想いの数も増えていく。それでもなお、強く惹かれあっても、一線を超えることはない。

 フランス映画高等技術委員会賞受賞。監督のこだわりが伺えるショットが多く入り混じり、流動的なナラティブを独特な撮影技法で表現している。アップやズームを駆使して、登場人物の心情を写すように焦点を当て、時に道具を使った演出や緊張感のある音楽とを融合させることで、全体的に生き生きとした映像に、「美」や「芸術」が表れていた。ところが、あまりにも映画としての芸術性を意識し過ぎていることによる弊害が浮き彫りになっており、物語の構造がわかりにくい場面が多い。芸術性に長ける映像を作ることに映画の醍醐味がある一方で、映画に"隙間"を作ることによる、想像させる時間を工夫して設けることも、重要な要素の一つである。

 一線を超えたのか、超えることはなかったのか。「女は顔を伏せ、近く機会を与えるが、男には勇気がなく、女は去る」。"赤"と"白"のクレジットタイトルが出現した後に、暗転し、無音の中でその一文から始まる。その意味を考えながら、終始映像に食らいついていたが、特段、刺激的な急展開はない。にもかかわらず、妙に官能的でエロティックだった。ただ食事をするシーン、ただ話しているシーン、ただ電話をかけているシーン、どのシーンを切り取っても、何か本能的に深い意味があるのではないかと思わせる様な時間が過ぎ去る。直接的には描かれてはいない。それでも、一線を超えたのではないか、そう思ってしまう。

 人間は衝動的な生き物である。愛に溺れ、欲に溺れ、己に溺れる。常に理性と闘いながら、正しさと葛藤しながら、その衝動を抑えるように、駆け引きをする。その美しさを、さも知性ある生き物の様に、人間の欲深さを包み隠して、描き通している。一貫して同じ髪型、そして同じ服装の男女だが、表出してしまっている色の変化によって、二人の心情の変化が滲み出てしまう。本当に一線を超えなかったのか。

 「大きな秘密を抱えているものは、山で大木を見つけ、幹に掘った穴に秘密を囁くんだ。」
 「穴は土で埋めて、秘密が漏れないように永遠に封じ込める。」
れおん

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