あつき

ヒミズのあつきのレビュー・感想・評価

ヒミズ(2011年製作の映画)
5.0
 大学院の講義で学んだ、アダプテーション論。これを簡潔に説明すると、小説や漫画といった文字テクストと映画化に伴う映像表現の間で行われる「アダプテーション」(翻案)において、「映画化」というアダプテーションのプロセスでは「物語」そのものに何が失われ何が生まれているのかを解釈する、というもの。
 講義の仕上げとして、私が一番好きな映画「ヒミズ」を題材にプレゼンを行ったので、それを一部抜粋してまとめる。

【原作】
ヒミズ(古谷実,漫画1-4巻,2002年7月5日 最終巻第一版発売)

1.登場人物とあらすじ
 主人公は中学生・住田祐一。貸しボート屋を運営する母と二人で暮らすものの母親は父親ではない男と蒸発、借金をつくって居所不明の父親が突如現れては虐待される日々。
そんな彼の夢は「普通に暮らすこと」。
自分は誰にも迷惑をかけないから、誰も自分に迷惑をかけないでほしい、それが彼の願い。
 もう一人の主人公・ヒロインは住田のクラスメート茶沢景子。住田に好意を持ち、一方的にアプローチしてくる。原作では彼女のバックグラウンドは全く語られないが、映画では茶沢も母親から虐待を受け、住田同様に家庭との関係に苦しみ鬱屈とした日々を送る少女となっている。
 そんな彼女の夢は「愛する人と守り守られながら幸せに暮らすこと」。

 何者でもない中学生が自分の選択肢や将来の可能性も知らないままに、彼らなりの「生きること」の意味を見つめる。

2.今作におけるアダプテーション -東日本大震災-
 原作では住田たちが暮らす場所は明言されない。しかし今作の撮影開始直前、東日本大震災が発生したのを受け、映画は被災地が舞台に変更された。
 実際に津波被害をうけた地域や家屋で一部撮影された映像は、住田の理想の「普通に暮らすこと」と対比的であり、根幹にある「生きること」とリンクし、原作以上にテーマが深堀されたと私は受け取った。
 また、原作発表と映画化の間で起きた世相を反映するという仕事をしたことで、今作が担った社会への役割は大きいと評価した。

3.園子音監督の破天荒人生
 映画にせよ文学にせよ、人はしばしば作り手のバックグラウンドを作品に投影させる。今作鑑賞にあたり監督の園子音の破天荒エピソードを紹介したい。
・幼少期から数多くの映画を見てはノートにレビューを記す。
・多浪の末、法政大学に入学するも退学。
・自主映画として撮ったフィルムが焼けて、自宅が全焼する。
・コンテストに出品した映画の宣伝のため、酔ったふりをして電車の中吊り広告を差し替える。
・交際した女性が暴力団組織の組長の娘で、組長に殺されかける。(映画『地獄でなぜ悪い』の原案とされる)
・路上パフォーマンス集団「東京ガガガ」を組織し、自作の詩を叫びながら渋谷を練り歩き逮捕される。

4.総括
 東日本大震災という現実を物語に組み込む「現実のアダプテーション」と、監督の人生経験からにじみ出る「生きること」の重みが、原作を映画化するにあたって物語に深みを加えた例と言えるのではないか。

5.教授(文学博士)の講評
・現実のアダプテーションというより、ドキュメンタリーとフィクションの混在。
・園子音監督の破天荒エピソードは、真実か。というより、嘘である可能性が高い。
⇒フィクション作家、特にインディーズ出身の作家は「嘘っぱち人生」を自伝ででっち上げて、それをネタに自分を売り込むのが常套手段であり、それは文学研究者の間では常識。

6.感想
 人生で一番好きな作品の講評としてはかなり酷評だったのが辛い。特に園子音監督の自伝さえ「フィクション」ととらえる文学研究者の現実は、彼の人生が映画以上に映画的であることを信じて強い魅力を感じていた自分にとって受け入れられない。
 一方で、作り手に陶酔するあまり作り手の人格を作品に追い求めすぎると、作品の本質を見失ってしまうことを学んだ。
 講評の締めに「君の年齢で観ると、インディーズ監督の映画は魅力的に見えるよ。みんながBUMP OF CHICKENを聞くように。」とフォローされたが、何も救われなかった。
あつき

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