追悼西田敏行①
不思議な役者だと思う。決してイケメンではないし、喋り方も舌足らずなときが多い。アドリブも多く、僕は西田敏行的なものがあまり好きでなかったかもしれない(役者より監督のが大切と考えていたので)。でもついつい見てしまいそのアドリブに笑ってしまう。その演技に苦笑してしまう。そしてその喋りに魅了される。亡くなってわかるってのはほんとによくないんだけど僕は「意外と好きだったんだ」と。今回はそんな偉大な役者西田敏行ウィークです。なるべくいろんな西田を出せたらと思います。
というわけで第一弾は当然西田の代名詞であるこの作品。若いころは釣りバカなんてと思って「あれは映画ではない」と避けていたんだけど(それは寅さんシリーズにも言える)今はだいぶ好き。というか正月に神社行って「今年もよくなりますよーに」って唸り、そのままこれ観てその後は初売り買って。ああ、これは「幸せ」な世界なんですよ。映画も浅草や上野なんかで見るのがベスト(シネコンでないとこで)。開始時間が始まってからもざわざわする観客。おじいさんなんかは小さい声でくちゃくちゃ喋っている。お菓子の袋の開く音。そして映画が始まっても堂々と入ってくる客。そう、そんなんでいいんだよ。映画なんて。面白かったねえ、今年もよろしくね。そんな「場所」を作ってくれたのも釣りバカかもしれません。
映画としては西田主演ながら三国連太郎にシンパシー。そうだ、年とってからってドキドキすることないのよ。何かやろうと思っても「年だから」「いい年して」「恥ずかしいよ」そんな(まったくもって)勇気のない中高年にこの映画は「いっちょやってみるか」って希望を与えてくれるんだ。三国のあの嬉しそうな顔を見ろ。あの困惑を見ろ。そこにあるのは「年とっても楽しいことは楽しい」ってことなんだよ。そんな真向なメッセージを伝えてくれるんでこっちも嬉しくなってしまうでないか。
そして石田えりのなんと「真っ直ぐ」なことか。これも中高年の夢なんですよ。別にセックスなんていらないのよ。たまに若い子のちやほやされるだけでいい。気にかけられるだけでいい。それだけで、ただそれだけで嬉しさを感じてしまうんだ。困ったものだね。
当然西田は。彼は疲れてただ目をいからし、あるいは背中を丸めているサラリーマンの「夢」じゃないか。好きなことやって楽しく暮らして。こんな夢を体現するのはこの少し前なら植木等がそうだった。そして90年代は西田だったの。そこにあるのは単純な憧れ。スクリーンを自由に動き回る浜ちゃんに、西田に僕らは憧れを抱いていたんだ。実生活では当然できないんだよ。でもせめてスクリーンの中だけは。たまに優しいのがなんともしびれるんだ。
改めて見て、なるほどこれはシリーズになるとわかる。だってすっと入ってくるんだもん。お正月に難しいことなんかいらないんだ。映画に難しいことなんかいらないんだ。すっと入ってくればいい。そういう映画もあっていいんだよ。
※おなじみの合体シーンも久々に観て大笑い。こんな微エロも楽しい。当然石田えりの美貌がないと存在しない。
※釣れる魚が全部いきが悪いのだけはご愛嬌。撮影でずいぶん繋がれていたんだろうなぁと穿った見方をする。ニヤニヤ。最初に三国が釣った魚なんかもう死んでいたんじゃないかしらん。