さわだにわか

ドラえもん のび太の創世日記のさわだにわかのレビュー・感想・評価

5.0
藤子F先生原作の映画ドラえもんは冒頭にテーマを持ってきて伏線的に活用することが多く、全編を観てから冒頭シーンを見直すと何についての物語かあまりに明確に語られていて驚かされたりする。
『創世日記』はその完成形だと思っていて、本屋で創世記の絵本を読んでいたのび太が自分の不幸の原因を(創世記の中の)知恵の実を得てエデンの園を追放されたアダムとイブに押し付ける、という冒頭の場面に作品のテーマとメッセージの全ては含まれていると言っても過言ではないように思う。

つまり、知恵を得ることは不幸なことなのだろうかという問いかけ、追放の結果として人間が得たものは何かという問いかけ、そしてアダムとイブを創造した神の存在を我々はどう理解すべきかという問いかけ。
これが『創世日記』の物語の核心で、そこから、知恵を得るための自由研究でのび太が創造主として宇宙を作ることの意義が導き出されるだろうし、唐突な印象を与える「追放」のオチが必然的なものであったこと(それでも唐突ですが)も、創生セット内の宇宙とその外の宇宙がパラレルワールド的に繋がってしまうことの意味も了解されるんじゃないだろうか、と思う。

神がかったとか説教臭いとかペシミスティックとか言われがちなF先生存命時代末期の映画ドラえもんですが、たぶんそんなことはなくて、ここで描かれているのは理性的人間への信頼と実に真っ直ぐな希望だろう。
これを含めて俺が勝手に映画ドラえもん神の不在三部作と呼んでいる『アニマル惑星』や『雲の王国』では楽園から追放された人類が神の不在を嘆いたり不在の神を呪ったりしながら神話に突き動かされて戦争を始めるが(それが今作でしずかちゃんが宗教戦争に言及する理由だろう)、追放を恐れることなく神話にすがることなく知恵の実を食えというのが三部作最終章たる『創世日記』なのだ。

神がかりどころかこれは神の否定と、神によらずとも知によって人類は直面する様々な問題を克服できるというお話なんである(だから創世セット内の宇宙とその外の宇宙は上下関係になく対等に扱われるのだろう。そこにヒエラルキーがあれば創造主の存在と権威を肯定することになってしまうので)

博物学的知識を可能な限り詰め込んで巨大なテーマに挑んだシナリオの密度と強度は新旧の映画ドラえもんを見渡しても比肩するものがない。動きのあるシーンが少ないのでアニメ的なケレン味はないですが、映画ドラえもん屈指の傑作だと思う。
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