psychedelia

アンナ・クリスティのpsychedeliaのレビュー・感想・評価

アンナ・クリスティ(1930年製作の映画)
1.0
クラレンス・ブラウンとグレタ・ガルボのコンビ作はこれ以前に『肉体と悪魔』を観ている。率直に言ってあっちの方が数倍は面白い(といって『肉体と〜』が名作だとは思わないが)。トーキー初期の映画であるためか, カメラはほとんど固定で, 登場人物の二人乃至三人がクソ面白くもない会話劇を繰り広げる。まるで舞台をそのまま映したかのようだ。しかも場面の繋ぎはスポークン・タイトルである。サイレントでのクラレンス・ブラウンのカメラ演出はこんな野暮ったいものではなかったから, このサイレントの名監督もやはりトーキーへの移行に苦労したクチなのだろう。
例外としてマリー・ドレスラー演じる襤褸雑巾のような娼婦だけは人間がよく出ていて面白かった。演技過多かもしれないが, 情人の娘であるアンナとの初対面では緊張していてわざとらしく声が上ずっていたのが, アンナが自分と同じ種類の人間だと見抜いたとたんに余裕しゃくしゃくという態度に変わるところなんかコミカルだが実にリアルだ(それでいて, 自分を追い出そうとしている情人について「とてもいい人」と彼の娘であるアンナには太鼓判を押すのである。あの時代の女性が如何に馬鹿々々しい処世術を身に付けさせられていたかがよくわかる。だからこそクライマックスでのアンナの「わたしは誰のものでもないわ!」が効力を発揮するのである)。
この映画は多分, 70年代, アメリカン・ニューシネマの時代に撮られるべきだった映画なのだ。クライマックスでのアンナが父に向ける詰責も, 「海の魔性が....」とかほざいて呆けている耄碌した親父にはちっとも通じない。交際相手の男はがさつで知性の欠片もない。状況は『ラスト・ショー』以上にニューシネマ的だが, 結末があまりに無理矢理なハッピーエンドなので何の解決も見出されない。だからグレタ・ガルボの退廃的な魅力が一切の映画的感動を生まず, ただ男の観客のオナニーの材料にしかなっていない。グレタ・ガルボという女優が如何に無駄遣いされた女優かということが端的に分かる作品であった。