レインウォッチャー

ベルヴィル・ランデブーのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ベルヴィル・ランデブー(2002年製作の映画)
3.5
自転車レース中に攫われた孫を追い、お婆ちゃんは犬一匹と海を渡る。辿り着いた都会・ベルヴィルで、出会った三つ子の老歌手(※1)の助けも借りて、いざ救出へ!

大人の絵本と呼びたくなる、暖色ベースの美しい世界。バンド・デシネが動き出す。
ここでは台詞も最小限に抑制され、観る者の固定観念を軽やかに置き去りにして手品のように変化させる、アニメーションならではの快楽が満ちている。

人やモノに対して日常で思う「あって然るべき姿」からの思いがけない脱臼がユーモアを生むことを作り手は熟知しており、自在に操ってみせる。

たとえば、キャラクターは所謂カリカチュア的表現で描かれる。小・短・細と、大・長・太の誇張された対比。嗅覚頼りの犬は鼻がでっかく、自転車に執心する孫の顔は極端なほど流線型だ。

また、シーンの繋ぎ目において、最後に映っていたモノが別のモノへとフェード変化し、次のシーンの冒頭にすべりこむ演出。アニメに限らず見かけるけれど、今作はこれが多用され、毎回とてもユニークだ。中にいっぱいの●●が詰まった鍋が夜空の月になったり、人の顔がハンバーガーに変わる。

他にも、日用品がまさかのトレーニンググッズや楽器に化けるなど(ちゃんとストーリーの中で機能するのが偉い)、確かな観察眼に基づいた、ステレオタイプからの発想豊かな飛躍が随所に見られるのが愉しい。(※2)

ゆえに…というか、物語についてもナナメから見てみたくなってしまうものだ。
孫の特訓にも超献身的に寄り添い続け、躊躇ゼロで海の向こうまで探しにいくお婆ちゃんの勇姿は、正面から見れば愛とパワーに溢れているが、角度をつけると少し…いや、結構怖い。

レースに出たもののスターになれるわけでもなく、結果は振るわないというのも妙にリアルだし、孫の目はラストカットまで虚ろなままである。

孫が初めて三輪車を与えられた際、嬉しさに庭を走り回る横では犬が自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回っている。犬が時折見る夢も、孫が誘拐された理由も、どこか繰り返し・堂々巡り・徒労の象徴を引きずっている。
果たして、孫の自由意思はどこにあったのか…もしかして今作は、母性がもつ正負の二面性を示しているのかも。

S・ショメ氏の作品では、『イリュージョニスト』にしても実写『ぼくを探しに』にしても、実親がおらず / 意思疎通に難がある人物が中心に置かれる。これは偶然なのだろうか。
エスプリ&ファンタジックに見える世界の中に、一抹混ぜられた拭えない「孤独」。このスパイスが、リアルと刺激を与えていることは少なくとも疑いがない。

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※1:三ババといえば、思い出すのは『マクベス』。マクベス王に呪いの予言を授けたように、今作の三ババもまた主人公の向かう運命の指針となる。お婆ちゃんにとっては心強い救い主・助っ人であるわけだけれど、その明らか魔女めいた暮らしっぷりはやっぱり不穏(と笑い)を呼ぶ。

※2:たまに画面の端々でディズニーを腐しているのは、このあたりから来る反骨精神だろうか。