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クロールスペースのninjiroのレビュー・感想・評価

クロールスペース(1986年製作の映画)
3.2
毎度!大家のガンサーです!
趣味は人間観察と殺人です!

タイトルの「クロール・スペース」とは、直訳すれば「人が這い入ることができる空間」。
一般的に居住又は業務等の用に供する建築物に機器・配管類の点検用として床下、天井裏などに設けられる管状又は高さの無い平面状の空間のことである。
本編中その単語そのものは使われないが、物語の舞台となる建物の居住用賃貸物件のオーナーである主人公ガンサー氏の生活様態の多くの部分を占める場面にこのクロール・スペースの間違った使い方のあれこれがしっかりと例示されており、それこそが本作の紛う事なき見どころである。

ガンサー氏はその複雑な生い立ちと己の嘗て従事した業務により培った資質等の複合的な要素により、簡潔に言えば現在進行形の変態として今やその完成を見ようとしていた。
大家としての特権を濫用し、その店子には自分好みの美少女やビッチを取り揃え、男の入居希望者はそれと見るなり門前払い。そうして創り上げた自身の欲望を満たすための楽園を、蟻の巣のように不必要に張り巡らせたクロール・スペースに夜な夜な這い入り、天井から、壁の通気口から、誰に頼まれもしないのに今夜も熱心にパトロール。
新しい店子が入居し歓迎パーティが開かれていようものならそれを壁の中から覗き、宴も酣の頃を見計らってボタンポチで壁の巾木がパカッと開きそこから鼠が飛び出すというピタゴラ的地味な嫌がらせに精を出して楽しいパーティに水を差してみたり。
ビッチが男を情熱的に誘い込むところを目撃しようものなら、そこで行われるコト一部始終を一通り悶々と覗き続けた後にケシカラン!と激高したかどうかは知らんが後日こっそり男を惨殺してみたり。
そして嘗ては同じく店子だったと思しき舌を抜いた女を縦横奥行各×1500mm程度の鉄格子の檻に閉じ込め一方的な「話し相手」として飼い、父が自身に与えた影響、過去のトラウマから現在までの顛末など、聞きたくも無い陰鬱な話を無理矢理聞かせてみたり。

自らの狂気を何とかコントロールしながら影で変態的嗜好を満たすことにより孤独ながらもその生活を満喫していたガンサーだったが、そんなある日彼の過去を知りその正体を突き止め裁かんとする男が現れた頃から彼の凶暴性は俄かに開花し、顕在化した狂気は一気に加速する。
そしてこの時を待っていたかの様に、屋敷にガンサー自らが仕掛けた殺人トラップが静かに始動し始める…。


屋根裏の散歩者的な孤独な変態振りからやりたい放題の色々と厄介な御仁を嬉々として演じるのは怪優クラウス・キンスキー。
どんな有り得ない奇矯な変態の役柄でも、一たび彼が演じれば「さもありなん」若しくは進行上僅かにでも与えられた「理屈」があるだけ演じるキンスキー本人のガチさに較べれば役の方が遙かにまともに見えてしまうのはご愛嬌。
天が与え給うた説得力とはこの事である。
どちらかと云えば恐ろしい鬼神の如き形相に重い棒状の何かでボコリとシンプルに且つ躊躇無く襲い掛かってくる野性味溢れる狂気を体現したキンスキーの方が好みだが、チマチマとした物騒な仕掛けを独りきりで一生懸命作ってよしよしと満足気な笑みを浮かべる、見るからに神経質な理系シリアルキラーといった風情もなかなかに味わい深いものがある。
白塗り化粧に乱雑に紅を当て、挙句止められぬ狂気の開放宣言のように高らかに発せられる「ハイル・ガンサー」の雄叫びとその表情には圧倒&爆笑。このシーンは堪らず繰り返して何度か観た。

また、建物全体に大規模に手を入れ改造を施したと見立てられる執念のクロール・スペースや、あちこちに設置された手作り殺人トラップの数々。
従来親しむ日本的家屋の構造からは考えられないこうしたあの手この手のギミックも想像するだにとにかく面白い。

後半の堰を切ったような大量殺戮は予算の都合上からか割合駆け足に進み、死体は出てくるものの実際の殺人シーンは殆ど見られないという部分は人によっては少々物足りないと感ずる向きもあろう。
しかしこの殆どが等しくトラップによる殺人であることから、要はネズミ捕りに掛かったネズミを朝になってから見付けるような感覚を再現しているとも言え、意図的に視覚で補完するまでもない部分とされたのかも知れない。

80年代、時代の徒花とも言えるエンパイヤ・ピクチャーズが産んだB級カルト映画。
それなりのものとして愛するのが良いだろう。
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