ryosuke

Mのryosukeのレビュー・感想・評価

M(1931年製作の映画)
4.2
いやあこれが30年代初頭に発表されたのか... という感じ。
明暗のコントラストの強い画が異常にスタイリッシュ。影の使い方もかっこいい。指名手配のポスターに犯人の影が映る瞬間の素晴らしさ。
モノクロの映像を見るたびに思うが、紫煙もよく映えている。
ショーウインドウの変な動きをする物体も、犯人の異常な心情を表現しているかのようで印象的。ぐるぐる回る渦巻きと心なしか上下運動するペニスを思わせる物体は、背景に何らかの意味を付与する良い効果を出している。
人物を上下から捉えた撮影も印象深い。180度の切り返しも異様な印象を与える。じっくりと動くカメラによる長回しも、不穏な雰囲気を醸し出す。
トーキーではあるが、まだサイレントからの移行期という感じで、場面によっては会話+αぐらいしか音声が拾われていない。静寂と間が不安を煽る。(静寂と共に差し込まれる、ボールと風船のショットの鮮烈さ!)
演技もサイレント期っぽい大仰な感じだが、大げさな演技は群集心理の恐ろしさを表現するテーマに合っているようにも思える。
別々の場所を同じセリフで繋いでいく演出や、刑事に報告書を読ませながら犯行現場の様子をディゾルブで重ねていく演出は先進的な感じ。
会話シーンが若干単調なので、そこに映像的な見せ場が増えれば完璧だったが、要求し過ぎというものだろう。
「見せない」演出やモンタージュの方法は、やはりヒッチコックへの強烈な影響を伺わせる。(特に拳銃のショットの差し込み方等)
盲人、殺人課の警部、そして主人公の犯人と強烈な個性のある俳優たちも魅力的。特に主人公のピーター・ローレは、目を真ん丸にして捜索に怯える表情や、ラストの大演説など印象的。「俺は自分から逃げ去りたい!でも決して逃げられない。」
ラストはメッセージ性を優先してしまったのはちょっと残念。もっと余韻の残る終わり方があった気がする。
三年ほど前に、学生団体の体験入部の時に見せられた記憶があるのだが、その当時は本作の良さが全く理解できていなかったようである。
映画の見方は、当たり前だが積み重ねで全く変わるものだと改めて実感した。
群集心理の恐怖を皮肉った本作の二年後、ドイツにて政権を獲得したのは...

4.6→4.2 シネマヴェーラ 2021/8/27
やはりオープニングが素晴らしい。俯瞰で不吉なフレーズを口にする子供たちの遊戯を捉え、指名手配のポスターが貼られた電柱にボールをぶつけていると、そのポスターに正に探し求められている人物の影がかかる。母親が娘を呼ぶ声が不在を際立たせる空っぽの皿に重なり、ひとりでに転がってくるボールと電線に引っかかった風船が、この世から消えてしまった魂の痕跡を可視化するカットの連鎖は詩情すら感じられる。
紙芝居に集まる子供を捉えるショットは、オープニングと同じく俯瞰で子供たちを映すことで不穏な印象を惹起する。続いて、子供を連れた男の横移動撮影が接続され緊張を高めるが、子供にハグをして別れることで送り迎えであることが分かる。緊張の操作が上手い。
オープニングの俯瞰で円形に並んだ人物を捉える構図は、ビルから逃げ遅れた男が穴から出てくるシーンの警官たちにも引き継がれている。この丸、円のイメージはピーター・ローレの真ん丸の目、転がっていくボール、ショーウインドーの中の渦巻きと、各所に散りばめられているように思う。
警察と職業的犯罪者集団の会議をクロスカッティングしていくシーンは、延々セリフが連ねられ、サイレントの作法が抜けきっていない大仰な演技もあって、ちょっとテンポが悪く感じる。大袈裟なほどに漂っている紫煙は、会議の時間経過だけでなく、尻尾を掴ませずモヤの中に消えていくような殺人鬼への苦闘も示しているように思う。
街角の音を排除した無音の中で口笛が鳴り響くことで殺人鬼の登場を示すのは本当に良いアイデアだなあ。その哀愁のある寂しげな響きは、抗えない衝動に導かれている犯人の哀しみも感じさせる。
口笛の殺人鬼に対抗して指笛の連携を用いてピーター・ローレを追い詰める。俯瞰ロングショットで追っ手が四方八方から出てくるカット。この逃走劇のシーンは、がらんとした空間はその空白自体が怖いという事実が活かされているように思う。
ソーセージを提供する飲食店?をよろよろとカメラが移動し、上昇するカメラがシームレスに犯罪者集団のアジトで物乞いに指示を出す場面へと接続されるワンカット風のシーンや、刑事を椅子の下から覗き込むような極端な仰角で映すカット、カフェで休むピーター・ローレを障害物越しのズームイン/アウトの長回しで捉えるカットなど、撮影は一々妙な凝り方をしており(少々技巧に走っている感はありつつも)面白い。
改めて再見してみると、ピーター・ローレは悲しそうに大きな目で怯えを示すばかりで、あまり憎むべき殺人鬼という感じに描かれていない。それよりも、序盤で子供と話していただけの老人を取り囲むシーンから表されていた群衆の怖さを描くことに主眼がある。ピーター・ローレの驚愕の目線から、人民裁判の面々がずらっと並んでいるカットに繋ぐゾッとするような演出を見ていてもそのように思う。
ピーター・ローレの大演説はやはり圧巻。「自分から走り去りたい」と叫ぶ彼が、目玉がこぼれ落ちそうなほどに大きく眼を見開いて、黒目が左右に往復させる顔が人間離れしていて、つくづく強烈な役者がいたもんだと感服する。
ごく普通の責任主義、適正手続論を語る弁護士役の男だが、子供がいないからそんなことを言えるという旨の母親の情緒的な演説、遺族への共感が全てを決める態度、心神喪失無罪への嫌悪感と現代SNSみたいな連中のボルテージが上がっていくのを助長することしかできない。踏み込んできた警官を見てゾロゾロと両手を挙げる彼らの滑稽な姿。稀に見る強烈な殺人鬼を登場させながらも、あくまで大衆に皮肉な目線を向けるところは流石ラング。
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