【 ショービズ馬鹿の一代記なのだ! 】
さすらい農場さんとの漢(おとこ)の鑑賞会。共通のテーマでふたりが映画を一本ずつ選出。二本とも合同で鑑賞して、それを2夜連続でレビューします。
第2回の共通テーマは「80'sダンス映画」。
2回裏、後攻さすらいさんの選出映画は「オール・ザット・ジャズ」です。
【 うわっ、つまらなそう!と思ってしまった中学時代 】
この映画、日本公開は1980年8月。ハル15歳、既にどっぷり映画館通いをしていた。
兄と共同で買っていた映画雑誌「スクリーン」や「ロードショー」で、この映画がカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した、と知ってはいた。
が、観には行かなかった。
おそらく予告編で「難しそう」「つまらなそう」と直感したんだろうな。
今回、初めて観て、「ある意味、あの直感は正解だったな」と思ってしまった(笑)。中学生が観て楽しめる映画ではない。もし映画館に足を運んでいたら、きっとストーリーに置いてきぼりにされて、鑑賞ノートに「よくわからなかった 65点」と書いただろう。
あれからおよそ40年。今回は楽しむことができた。これも年齢か、人生経験かなあ(←エラそうだ)
【 ボブ・フォッシーの仕事の顔と、シームレスなプライベイトな顔 】
監督のボブ・フォッシーはアメリカの振付師で、ミュージカル「シカゴ」の演出、脚本家。
映画はライザ・ミネリ主演の名作「キャバレー」(←午前十時に登場)、「スィート・チャリティ」(←シャリー・マクレーンが可愛い)、「レイニー・ブルース」などを監督。
そのボブ・フォッシーが人生を投影させた自伝的映画なんだって。
ロイ・シャイダー演じる主人公ジョー・ギデオンはブロードウェイの売れっ子演出家。
酒と煙草と薬と女に溺れながらも、ひたすら「いいショーを作ろう」、それだけを思っている破天荒な男。根っからのショービズマン。
不摂生がたたって倒れ、入院中もハチャメチャをして医者を困らせながらも、病床でもショーのことだけを考えている。
プロデューサーたちお偉方が眉をひそめるようなエロティックな振付のダンスを披露するシーン。それは圧倒的なパワーで、それこそが彼のアイデンティティだと思える。
別れたもと妻は、素晴らしい女優でダンサー。演出家として、彼女への信頼が感じられる。
一方で、彼女との間に授かった愛娘と 現在のジョーの愛人の女性が二人で踊ってみせるシーンが微笑ましい。公私の境が曖昧に見えるけれども、これはショービス馬鹿のジョーの「本当に愛したものたち」なのだ。
【 シャブと酒に溺れて見る幻影 】
酒や薬物の影響のイメージらしく、非現実的なカットも多い。
死を前にして、天使(若きジェシカ・ラング)のインタビューに答える形で、自分の人生を語る。DVDの特典映像でよく見るような絵ヅラだ。
さらにジョーの監督映画で主役を演じるスタンダップコメディアンが、幻影のように現れて、ジョーに向かって「お前は自分が平凡であること、普通の人間であると認めることが怖いんだろう」と言う。核心をつきすぎてる。観客は、ジョーもひとりの人間なんだな、となんだか切なくもなる。
【 舞台と映画の手法をミックスしたクライマックスの演出 】
クライマックスシーンの演出が面白い。
舞台上の「病室のベッドのセット」に昏睡する主人公が横たわっていて、その傍らで彼の人生に関わった人々が走馬灯のように回想シーンを演じる。これは「演劇的な手法」。
そのうえでさらに、それらの全体を、もう一人のジョーが客観的に、俯瞰的に眺めている。(つまりジョーが二人いる。)こちらは「映画的な手法」。
こうやって、ジョーの人生を立体的に構成してみせる。舞台演出家で、映画監督でもあったフォッシーならではの描き方なんだろうな。
破天荒に生きて、壮絶に死んでいった主人公ジョー。
愛するショービズ界であれだけ好きなようにやり尽くした人生なら、ひとりの人間として幸せだったんだろうなと思える。
なかなか味わいぶかい映画でした。