パケ猫パケたん

オール・ザット・ジャズのパケ猫パケたんのレビュー・感想・評価

オール・ザット・ジャズ(1979年製作の映画)
5.0
(結構、長いレビューです)

自分にとって最高のミュージカル映画。

フォッシー・スタイルと称される、独創的でセクシーな振付の数々を考案した、天才振付師、映画監督としても超一流である、ボブ・フォッシーの自伝的映画。カンヌ国際映画祭、パルムドール受賞作。

ボブ・フォッシーは、過去の監督作品、『スイート・チャリティ』(1968)に於いて、『カビリアの夜』(1957)を全編オマージュした程の、フェデリコ・フェリーニのファンである。本作品『オール・ザット・ジャズ』は、自伝的映画であること、芸術家の創造の苦悩を描いていること、より、完全にフェリーニの『8 1/2』(1963)にインスパイアされて、捧げられた名作と云って良いであろう。

また、この映画は、フェリーニ監督作品、『世にも怪奇な物語 悪魔の首飾り』(1967)、『サテリコン』(1969)、『アマルコルド』(1973)、『カサノバ』(1976)等の撮影監督である、ジュゼッペ・ロトゥンノを招聘して、撮影している。だから、シャープでシビアなショービジネスの描写の中に、回想場面として、白っぽい画面、優雅な曲線、死の天使、仮面などのヨーロッパ的、フェリーニ的な美しさが、適時、織り込まれており、映画全体がダイナミックなものに成っている。

オイラ的には、何よりセクシーで、ネコのようでもある(^o^)、ボブ・フォッシーの振付けは、当然、大好物であるので、フォッシー・スタイルの洪水である、この映画は、大好き。

実際の振り付けの演出であったり、死に際の厳しい状態での幻影であったり、通常のミュージカル映画の持つ、気恥ずかさみたいなものを、巧妙に回避している。

芸術とは命懸け、そして、天才性をロイ・シャイダーが熱演している。また、元妻の役のエリザベート・フォルディが、脚線美も素晴らしく、良妻が似合っていた。奔放過ぎる女関係だったが、主人公は家族から愛されていたので、勝利者だと、オレは思う。

人生の不条理、厳しさを的確に描いているところは、『野いちご』、『第七の封印』のベルイマンを彷彿とさせるところもある。

さて、映画のナンバーは、二つのエロチックな「エアロ・アメリカ」と、ラストの死に際しての幻想(白いボディスーツの二人の血管美女、この衣装は素晴らしい。)が好きかな。あと、脚線美の元妻が、仰向けになって浮気相手の名前を言っていく、ナンバーとか、エロ怖い((( ;゚Д゚)))。悉く独創的。

⚫ラストについて、フェリーニと共に

死に望んでのナンバーが、素晴らしい。
その発想、衣装(白いボディスーツの、血管美女が二人)、黒人の知らない司会者、煌めく銀の色、フェリーニ的な美術の優美さ。 

そして、円形の舞台。

かの『8 1/2』に於いてフェリーニは、
登場人物たちの、円環運動を見ながら、「人生は祭りだ。共に踊ろう。」との名台詞を語った。

ボブ・フォッシーの人生。貧しいボードビリアンの家系で育ち、ダンサーを経て、振付師として名を成し、ブロードウェイの一流演出家にまで登りつめた。

映画監督も厳しい仕事だが、ブロードウェイの演出家は、もっと厳しい仕事でしょう。映画の場合、撮り溜めも利くし、一部のキャストを使っての再撮影も可能です。ところが、ブロードウェイの場合、拘束期間もキッカリと決められて、
キャスト、スタッフの数も100名以上の多数に及ぶ。拘束期間に比例して、人件費や劇場代金も、莫大に発生していく。
プレッシャーも半端ない。映画監督よりも、更に厳しい、生き馬の目を抜く仕事。
   
主人公の男は、人生の最後の回想に於いて、観客席の登場人物たちに挨拶をしに行く。泣いているのは、家族と、幾人の人ばかり。残りは、死という祝祭に饗応するのみ。「フェリーニ殿、確かに、人生は祭りだったが、共に踊るほどの余裕もなかったよ。(ダンサーかつ振付師なのに)」との、フォッシーの呟きが聞こえる気がした。

主人公の男は、死に至り、円形の舞台装置がせりあがって、観客席からは見えなくなる。

男の主観のカメラに切り替わり、男は寝た形で、前方に移動していく。

前方には、白いヴェールと母性に包まれた、謎の美しき天使?(ジェシカ・ラング)

ヒントは、撮影監督ジュゼッペ・ロトゥンノ、フェリーニ原理主義で解釈すると、二通りの仮説が成り立つであろう。   
【パケたん仮説🎵】


【1 『カサノバ』】

主人公の男が、性豪カサノバであり、白い天使は機械人形。つまり、男のせいで結局、信頼できる女性が出来なかったという事。人生が虚無だったという総括。尚、原典『カサノバ』のラストシーンは美の極致。

【2 『世にも怪奇な物語 悪魔の首飾り』】

この仮説は怖い((( ;゚Д゚))) 白い天使は、それこそ死神か異界のもの。次のカットでは、美女が男の死神に変身するのかも。主人公の男は、其なりの罪をおかしているので、地獄かどこかで、其なりの罰を受けるかも知れない。美女の微笑みほど怖いし、あの世の事などわからない。

フェリーニ映画を愛するが、故に、白い天使みたいな、フェリーニの本質的なものに至ったのだと、思う。

カンヌでグランプリ獲ったので、フェリーニは観てくれたのかなぁ?

最初のヴィヴァルディから、最後の「ショーほど素敵な商売ない」まで、アタマの先から爪先(つまさき)の爪まで、音楽と映像美に溢れている。(ここでも、イタリアとアメリカ、韻を踏んでいて、ボブ・フォッシーは鬼才です。)

【あとは、推敲です。】

【ご一読、ありがとうございます🎵】


幾度も映画館+幾度もDVD