亘

そして、私たちは愛に帰るの亘のレビュー・感想・評価

そして、私たちは愛に帰る(2007年製作の映画)
3.9
【愛と死がつなぐ人々】
ドイツ、ブレーメン。トルコ人の娼婦イェテルはある日同郷のトルコ人の客アリから同居の提案をされる。しかしその後事故から彼女は亡くなってしまう。アリの息子は彼女の故郷へ向かう一方彼女の娘アイテンは、母親探しにドイツへとやってくる。

ドイツとトルコという距離の離れた2国間で愛する者の死から始まる数奇で壮大なすれ違いを描いた作品。本作の3つのチャプターはすべて死を予感させるもので、人々のすれ違いを描き続けるのではあるが邦題の通り最後は愛で落ち合うのが印象的。

ドイツとトルコは距離が離れているものの、1960年代にドイツが外国人労働者受け入れでトルコ人労働者を置く受け入れたことから、多くのトルコ系移民がドイツに暮らしている。ファティ・アキン監督自身トルコ系ドイツ人だからこそこうしたトルコとドイツを題材にした作品にしたのだろう。

[登場人物]
アリ:トルコ人男性。ドイツ在住。
ネジャド:アリの息子。ドイツの大学教授。
イェテル:トルコ人娼婦。ドイツ在住。
アイテン:イェテルの娘。トルコからドイツへ向かう。
ロッテ:ドイツ人大学生。アイテンと仲良くなる。
スザンネ:ロッテの母。

本作は3つのチャプターに分かれる。
[1.イェテルの死]
ブレーメンで娼婦として働くトルコ系移民イェテルは、トルコ人の客アリに報酬と引き換えに同居する提案を受ける。初めは気が進まなかったものの生活が苦しかったものの生活が苦しかったイェテルはその誘いを受け入れる。その後ドイツの大学で教授をするアリの息子ネジャドが帰省し3人で暮らすことになる。

しかし乱暴なアリは家でもイェテルを家政婦兼娼婦のような扱いをしていて、ネジャドがイェテルに寄り添う。そんなある日アリがイェテルをたたいたはずみでイェテルは頭を打ち死んでしまう。そしてアリは刑務所に、ネジャドはイェテルの故郷のトルコの町へと向かい家族はバラバラになるのだ。

壮大なすれ違いのきっかけとなるアリとイェテルの出会いのパート。ここで特に印象的なのはアリの乱暴さ。彼は行ってみれば品のないエロ親父で、アリを家事をしてセックスもさせてくれる都合の良い女性としかとらえていない。しかも息子ネジャドにまで「イェテルとヤったか」と聞く始末。その乱暴さがその後の悲劇を生むわけでもあるが、見終わってみればこの傲慢さが壮大な愛の物語の始まりというのも興味深い。

[2.ロッテの死]
反政府活動をするアイテンは、当局の目をかいくぐりドイツへ向かう。そこで「靴屋で働いている」という母を頼ろうと考える。しかし靴屋を回っても見つからず途方に暮れたときにドイツ人大学生ロッテと出会い彼女の家に居候する。そのうちロッテとアイテンは深い仲になるが、アイテンの不法入国が判明し難民申請に落ちるとアイテンはトルコへ行きロッテも彼女を救うべくトルコへ向かう。

トルコでロッテは偶然出会ったネジャドに部屋を借りながら、アイテンの援助をしようとするが、ある日子供の強盗に襲われて命を落としてしまう。

アイテンという伏線が生まれて話の平行と交わりが始まるパート。ドイツでも時折ロッテたちがネジャドやイェテルとニアミスする場面があるし、トルコでのネジャドとの遭遇はアイテンとイェテルがつながるかと期待しつつも、もどかしさを感じる。一方でロッテの死は唐突で衝撃的。

[3.天国のほとりで]
娘ロッテの足跡を追ってスザンネがトルコ入りするのと同じ日、アリは強制送還となってトルコへと帰ってくる。ここでスザンネはネジャドの家に下宿して娘が最後にいた土地を回り始める。ここで印象的なのはネジャドとスザンネが心を通わせること。ロッテの話から始まり、さらには犠牲祭からキリスト教とイスラム教の共通点を見つける。さらにはスザンネはアイテンに面会し彼女を赦すのだ。一方でネジャドは父が戻り暮らすというトラブゾンの町へ向かい父を待つのだった。

今作の人々が愛と赦しでまとまるパート。特にスザンネはそれまでアイテンをあまり好意的に思っていなかったので、アイテンの赦しは大きいと思う。そしてネジャドもアリを赦しに行く。この作品では最後まで見せられなかったけれども、おそらくは最後はネジャドとアリもスザンネとアイテンに合流するんじゃないかと思う。その時はアイテンがアリを赦す必要があるだろう。

ラストシーンで流される穏やかな黒海は、チャプター名であり本作の英題でもある「天国のほとり」を表しているようだった。この穏やかな海は、きっとロッテとイェテルという亡き2人について語らいながら4人が大きな愛に包まれることを表しているのかもしれない。

印象に残ったシーン:スザンネがネジャドと話すシーン。穏やかな黒海が流れるラストシーン。
亘