一休

画家と庭師とカンパーニュの一休のレビュー・感想・評価

画家と庭師とカンパーニュ(2007年製作の映画)
5.0
正直な話、オイラはフランス人に良いイメージは無いのだが、フランス映画は大好きだ。(笑)
何故かというと、ハリウッド的超大作はやたらなこけおどし映像に妙なラブロマンスをくっつけるだけで、人間を描いたような事をいうのだが、フランス映画などは市井の一個人に起きた普通の出来事が、どのように人に関るかという映像を、妙な技法を使わずに正面から撮って見せてくれるからだ。
今回観に来た【画家と庭師とカンパーニュ】という映画も、古くは【黄金の男】とか【タヒチの男】など、ジャン=ポール・ベルモンドを使ってやんちゃな映画を撮っていたジャン・ベッケル監督が、初老に至って、友人の原作を映画化した作品だという事だ。

ストーリーは、主人公であるパリで成功を収めた画家が、妻との不和などもあって、自分が幼い頃を過ごした田舎に帰って来る所から始まる。すっかり放置していた庭の手入れに、いたずら坊主同士だった古い友人が来てくれて、村で住むための諸々の面倒を見てくれることから、昔以上に親密な関係になっていく。お互いに本名では呼ばずに、キャンバス、ジャルダンと呼び合い、昔話をし、現状の話もするのだが、初老を迎えて行詰っっている事を隠しもせずに、これからの話さえもするのだ。男たちは、むしろ自分の弱みを分かち合おうとするかのように、お互いの生活に半歩づつ足を踏み入れ、それを納得し合う。もちろん、お互いに関る女性はいるのだが、それが二人の間を邪魔するような事は無い。そんな日をおくる内、ジャルダンは身体の不調を訴え、キャンバスがパリの知人の医者に診せた時には手遅れの状態になってしまっていた。その時点で初めてジャルダンの家を訪れたキャンバスは、彼の妻に会い、お互い同士がどれだけ大事であったかを知る。「もし、絵がもらえるなら、オレの好きなモノを描いたのが良いな~。」とジャルダンに言われていたキャンバスは、一心不乱に絵を描き、彼の死の報告があっても絵筆を止めない。そして、ジャルダンの好きなものを描く事で、自分を取り戻したキャンバスの笑顔がパリの街に戻った。

オイラの様に、愛してくれた女性も、命を救ってくれた恩人も、一緒に戦った仲間も次々に死んで行ってしまって、誰も連れて行ってくれないような男に取って、自分を知っていてくれる人がいればこんなに嬉しい事は無い。「女は己を愛する者の為に容づくり、士は己を知る者の為に死す」というが、この世知辛い世の中で、お互いに名などどうでも良いという関係は、そうそう作り上げられるものではない。

この二人の男の姿を見て、自分がどちらの士になれるのか、またそこに入り込める女性が近くにいるのか。花を咲かせた後の人生だとしても、風除けや、一涼を与えられる草になりたいものだと思う一休であった。
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