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マイティ・ソーのふきのレビュー・感想・評価

マイティ・ソー(2011年製作の映画)
4.0
北欧神話をベースとする世界で雷神(ソール、トール、ソーなどと呼ばれる)が全宇宙を護るべく戦うヒーローアクション作品にして、マーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)の四作目。

本作は大きく分けて、異世界アスガルドと現代の地球が舞台になっている。
異世界アスガルドは、この手の大作にしては低予算ゆえの描写不足と、役としてのキャラの少なさにも関わらず、文句のない説得力で構築されている。この辺りは全景のCGや美術のクオリティの高さに加え、シェイクスピア役者でありシェイクスピア監督でもあるケネス・ブラナー氏の、歴史ファンタジーとしての重厚な演出と絵作りが効いているだろう。
そこで描かれる、厳しくも優しいオーディン、血の気の多い第一王子ソー、兄に劣等感を覚える第二王子ロキを中心とする王家が舞台の陰謀劇も、王位継承と戦争という王道パターンではあるものの、若手だが腕は確かなクリス・ヘムズワース氏とトム・ヒドルストン氏と、それとは一線を画すレベルのアンソニー・ホプキンス氏の演技力によって、背景の異世界描写に相応しい重厚さでお話を見せ切ることに成功している。
白眉はやはり、ソーを追放するシークエンスだろう。あのシーンの三人はどれも素晴らしい。その中でも「... you've opened these peaceful realms and innocent lives to the horror and desolation of war!」の台詞はいつ聞いても鳥肌が立つ。
ただ個人的に本作は、ロキに惹かれてしまった。兄の栄光の影に生きた弟。正義故に暴走するソーに対して、愛故に暴走するロキ。ソーと同じようなことをしたのに、ソーと違う未来に向かってしまう。何度も引き返すチャンスはあったのに、それを選ばないことに納得できる描き方が憎らしい。初見時は強く感情移入してしまって、「Is it?」と繰り返すところで泣いてしまった。

そして異世界アスガルドが説得力を持って描けているからこそ、ソーが現代の地球にやってきた時の「カルチャーギャップコメディ」のパンチ力が大きくなる。国を護るためにバッタバッタと巨人を薙ぎ倒しフロストモンスターの頭をぶち抜いていたソーが、お父さんに怒られて地球に真っ逆さま、クルマに跳ねられ、スタンガンに撃たれ、医者に鎮静剤を打たれ、いきなりのスリーアウト。てか雷の神様なのにスタンガン効くのかよ。
だがそんな重厚な脳筋バカをクッソ真面目に好演するクリス・ヘムズワース氏は、最高のヒーロー的魅力を秘めている。アイアンマンはCGスーツ、ハルクはCGモンスター、ではソーは? 筋肉だ。マジでなんなのクリスよ、クリス・ヘムズワースよ。「クリス・ザ・ビーフケーキ」と命名しよう。もちろんクリス・エヴァンス氏とクリス・プラット氏も含む。てかMCUって、単独作で主役を張る役者を妙にムキムキさせるのはなんでなんだぜ。いや、私的には最高に上がるからいいんだけど。
カットバックで続くアスガルドの陰謀劇に張り合うように(?)、地球人サイドも色々ヤバイ。神様の名前を自称するヤツなんて、中学生なら「あっ(察し」で済むけど、成人男性が言ってたらヤバい以外の何ものでもなく、そんなソーに最初は研究対象とは言え執着するナタリー・ポートマン氏演じるジェーンは、客観的に見たら正気じゃない。カット・デニングス氏演じるダーシーの一ミリも脳を使ってない最高のバカ演技がひたすら続く中、当初は常識人だったステラン・スカルスガルド氏演じるセルヴィグ教授も、ジェーンとの交流で落ち着いてくるソーと反比例するようにレールから外れ、序盤のソーと同じようにぶっ倒れて車に担ぎ込まれる。ソーが運び込まれた病院の受付の女性も実はヤバいシーンがカットされてて、地球サイドはまともな人間がジェーンとシールドの面々しかいないレベル。ぶっちゃけソーのヤバさより勝ってると思う。

それはそれとして、脇のキャラも良い味が出ている。
フィル・コールソンを始めとするシールドエージェントは、比較的温厚な見せ方だったアイアンマンシリーズと違い、本作では完全にメン・イン・ブラック、正体不明の権力の手先として登場する。何も知らない一般人から見た彼らの描写は、MCU全体の厚みを与えているだろう。フェイズ1からフェイズ2までで活躍するエージェント、ジャスパー・シットウェルも本作から地味に登場。
ソーの仲間のシフ&ウォーリア・スリーは、アスガルド側でも真面目なシーンなのにコントのテンポで編集されていたり、地球の戦闘シーンでもギャグかというレベルでやられたり、コメディリリーフ的に扱いが多い。カットされた活躍が多いキャラたちだが、本作は「アスガルドの陰謀劇」と「地球のカルチャーギャップコメディ」の両方のエッジに足をかけた作品なので、彼らの出番は劇場公開版くらいで収めているのが丁度いいのかもしれない。

とアスガルド部分も地球部分も大部分楽しめたのだが、大きく二つ、欠点がある。
一つは、地球にきたソーと現地人の交流の描写不足だ。
まずソー。地球に来た直後は乱暴者で、医者を投げ飛ばし、病院から脱走し、マグカップを叩き付けて「もう一杯!」。前述の通りカルチャーギャップコメディとしてゲラゲラと笑えるのだが、マグカップを割ってから数分も経たずにジェーンの手の甲に口づけをして「Farewell」と礼儀正しく別れを言う場面が来てしまう。その直前にジェーンから「礼儀正しく」とは言われていたし、元々乱暴一辺倒ではないキャラとはいえ、展開としては唐突だ。中盤で決定的に変化するポイントがあるのだから、そこまではもっと強烈な描き方でもよかったのでは。
ジェーンもよく分からない。彼女は当初、自分の学説の証明する材料としてソーを追い、出会ってからはその異質さや不思議さに興味を抱いているのだが、それが次第にソー本人に惹かれていく……という展開なのは分かる。分かるのだが、「ソー本人に惹かれていく」の過程がない。現状の描写では、一目惚れにしか見えない。
セルヴィグ教授もそうで、「今夜街を出ろ」言ったにも関わらず、翌朝料理の準備をするソーを「何があったんだ?」的な顔で見ていて、見てるこちらは「え、出てけって言ったでしょ?」と思ってしまった。その間に二人で酒を飲んで胸襟を開いているし、未公開シーンでも酔っ払ってキャッキャしてる場面があるから、補完できるといえばできるのだが。

もう一つは、コミック的な見せ場が盛り上がらないところ。
中盤でソーがムジョルニアを手にとるシーン、コミックで言うなら一ページ丸々使ってケレン味大決壊の決めポーズで、日本的に言えば『BLEACH』が見開きで「ドン!」とやる、言うなれば歌舞伎の“見得を切る”場面だ。こちらとしては「いよっ! 待ってました!」と叫ぶべき場面だ。なのに本作は、バストショットとヘッドショットの間くらいの中途半端なサイズで切り抜いたソーを、一秒ほど映しただけで終わってしまう。いやいやいやいや見せてくれよここを見に来てるんだよ一番の盛り上がりどころだろ! ナタリー・ポートマン氏の「やった!」顔はすげー可愛いけどさ!
嵐の中に敵を引きずり込んで圧倒的パワーで決着をつけるところも、初見時はなにをやっているのか分からなかった。ドカッ! ピカッ! ドカーン! で、少しして土煙の中からソーが早歩きでスタスタ出てくるという……。
ただまあ、この辺はケネス・ブラナー監督のいつもの演出のような気もする。「ここでバーンとこいつが出てきて……ああ、意外とあっさりなのね」と思うことは割りとよくあるので、それがアメコミ映画で悪い方向に出たのだろう。

小さなところでは、ロキの普段の姿やシフ&ウォーリア・スリーの描写が少ないのも気になった。製作順で『インクレディブル・ハルク』『アイアンマン2』『ソー』とお話の出来がイマイチな作品が続いたことで、「ほんとに『アベンジャーズ』までできるのかよ……」と劇場で思ってしまったのは否定できない(この危惧は次の『キャプテン・アメリカ』でも感じることになる)。まあどちらも映像特典や続編の『ダークワールド』で見られるので、残念と思った方は両方ともソフトを買って見よう(宣伝)。
「ケネス・ブラナー監督はアクションがいまいち」問題は……それほど気にならなかった、かな?

ケネス・ブラナー監督と言えば、本作は音声解説がオススメ。小説の地の文のように描写を補強する朗読パートが時々あって、映画作品としちゃどうなんだと思わなくもないが、中々楽しいです。

(2015/11/22にマークしたが、見返した上で2017/01/27にアップデート)