あまのかぐや

マイティ・ソーのあまのかぐやのレビュー・感想・評価

マイティ・ソー(2011年製作の映画)
3.8
「アベンジャーズエンドゲーム」世界公開まで20日を切ったそうです。

平成が終わる。アベンジャーズが終わる。そして長かった1年の待機期間が終わるんですよー。

まだ観てもいない映画にこんな気持ちになるなんて、ただ「映画」というその内容だけじゃなくて、この一年がすでにドラマ。待ってたそれぞれの胸のうちにもドラマありです。わたしたちもユニバースに取り込まれているんだなぁという気持ちになるます。

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そんなタイミングでこれまでレビュー書いていないMCU単体作品を改めて観てみることにしました。

「マイティソー」
「ソー ダークワールド」
「ソー ラグナロク」
「インクレディブルハルク」
「アイアンマン」
「アイアンマン2」
「アイアンマン3」
「ドクターストレンジ」

…やば、こんなにある。

何度か書いていますが「ソー」のシリーズが苦手で、実は「ソー」への思いが深まったのは3作目からです。

これはその前に公開された(これも苦手なジャンルだった)「ガーディアンズオブギャラクシー」からの功績が大きくて、たぶんGoGがあったから「ソー・ラグナロク」が好きになって、ソーが好きになって、だから「インフィニティウォー」の重さが増したんだと思います。自分自身、気がついたら神様やらww2の英雄やら緑の巨人が並列する荒唐無稽な世界を、荒唐無稽と思えなくなっていて…ユニバースに取り込まれるってこういうこと?って思う。ホント、キモくてすみません。

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それで、今この時期に、当時「天界かよ、ムリっ」と一回観たきり消してた記憶、「ソー」の原点を振り返ってみたりするのです。

まずはケネス・ブラナー監督ってことに改めて驚くのですが、なんというか、そういえば配役が重めで、シェイクスピア風な王位をめぐる兄弟の物語なのに、どこかふわっとつかみどころがない…まぁ神様だからね。地上と神様の世界と、科学者と神様。ファンタジーは苦手なので、とっつきにくいなぁという感想。

インフィニティウォーに至った今となれば、「ソー、頼む!お前しかいないんや!」ともはや神頼みを地でいってるわけですから分からないでもないですが、この時点で地上の科学者との異種間ロマンスや、さらにはこの先MCUのとりこまれていくであろうさまざまなばらまきネタ、いろいろ混ぜ込むの難しかっただろうなぁ。

ナタリー・ポートマンの美しさが尋常じゃない。こりゃヘムスワーズが恋に落ちて納得、人間離れした美貌の神様と対抗できる地上界の生き物は、ナタポーぐらいの人物でないと、って気がします。

人間メンバーも豪華で芸達者なはずが、なんだかあっさり(あまり場所が動かないようなせいもあり)に対して、トム・ヒドルストンやアンソニー・ホプキンス、イドリス・エルバなどアズガルドメンバー…気品有り気な、俗っぽくないというか…言ってみるなら圧倒的な神様感。言ってることもやってることも矮小だったり小賢しかったとしても、どこか「あ、これ人間じゃないな」と思わせる。

で、ここからみたらやっぱりロキ、人気なのがわかりました。

そしてどこか抜けてるし、粗暴だし、一歩間違えばソーじたい神の器ではないし、あのキラースマイルですべて許せてしまうロン毛でライトなオーストラリア人をソー役に配したということで、これ単体ならば感情移入もへったくれもないところですが、ここにロキという権力と愛情に飢え、拗らせた闇や暗さや邪(よこしま)感など神話風味を帯びたキャラクターを配したことで大成功だったんじゃないかな、と思いました。実質、ロキがヒロイン(?)ってわかる。北欧神話からはじまるソーと石の話だけではこの物語を壮大なユニバースに絡めて、広げる足がかりとするのは、なかなか難しかったんだろうなぁと思います。ソーだけじゃなくロキとダブル主演扱いでもいいぐらいだ。光と陰どころではない、全く異質で、相入れるところがなさそうな兄弟が、それぞれの方向に変わっていく姿が、この先の3作品で見られるとは。

ホークアイ登場とか、コールソンの活躍がシールドという組織の話に繋がり、ここから「アベンジャーズ」に展開していく。

まぁ、わたしの場合は、先にアベンジャーズのほうを進んでしまったのですが、改めて「ソー」1作目を見ると、アベンジャーズをみていて良くわからなかった箇所が「そういうことか」とわかったりもします。改めてよく練られている世界観なんだなぁ。

そしてケネス・ブラナーよくこの(めんどくさい)世界に噛んだなぁとおもったりもするのです。
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