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コーヒー&シガレッツのrainwatcherのレビュー・感想・評価

コーヒー&シガレッツ(2003年製作の映画)
5.0
「音楽は空に消え、二度と捉えることは出来ない」(エリック・ドルフィー)

コーヒー(ときどき紅茶)とタバコを挟んだ、いくつかの会話を映すオムニバス。
言葉を交わしているのは友人だったり親戚だったり親戚かもしれなかったりと関係性はそれぞれなのだけれど、共通しているのは「どこにも着地しない」ことだ。

真意はうまく伝わらず、でも口から出た言葉は取り戻せはしなくて、ちょうど空に漂ったままゆらゆら散ってゆくタバコの煙のようにおさまる場がなく消えてゆく。そして、忘れられぬるくなってしまったコーヒーのような肩身の狭さ。
それはたとえばどちらかが明確に大きく傷ついた、というわけでもなく名状し難い苦さ。そんな空白の間を、コーヒーを啜る音やカップとソーサーがぶつかる音が埋めていく。

この、誰も見つけられなかったボールを事もなげに拾い上げてみせるような感覚こそが見どころになっている。
この映画を初めて観たのはまだ学生のときだった記憶があるけれど、単に「オシャレ」とか呼ぶのも違った…これが” Hip ”というやつなのかな、と直感した。
その体験故か否か、タバコの習慣こそ根付かなかったもののすっかりコーヒー党の人生を歩んでいる。

多くの場面でテーブルやクロスがブロックチェック(市松模様)柄になっていて、頭上からのアングルが隙を見て差し込まれる。
まるで会話というボードゲームをしているようにも見えてくるのだけれど、決着はつかない。画面のモノクロを形作る、白と黒の間の果てしないグレーに向かってあらゆる言葉は落ちてゆく。

しかし、それでも必ずgotta goの時はやってくる。
どちらかが「そろそろ…」と切り出し、挨拶をし、別れる。惜しいような、同時に待ち望んでいたような、明らかな謝絶。
会話は終わらなければならないのだ。陳腐な言い方かもしれないけれど、まるで人生と同じように。
ただ、人の生にしたって大半がこのように終着点のない時間の積み重ねなのだ、と思えば、あながち間違ってはいないかもしれない。それでもなぜか、人は誰かを誘わずにはいられないのだ。次こそはわかりあえるんじゃないかと縋るように。
「コーヒーでもどう?」

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特に好きな場面を二篇選んで書いておこうと思う。

・somewhere in california(カリフォルニアのどこかで)
イギー・ポップとトム・ウェイツのミュージシャンコンビ。
真っ直ぐなイギーに対し、なんでも斜めに受け取る捻くれたウェイツのすれ違いが可笑しいし、「俺の曲は構造が医者っぽい」「タバコはやめた、だから堂々と吸える」など名言多し。
いまでも、トム・ウェイツはわたしが最も好きなミュージシャンの一人だ。

・delirium(幻覚)
GZA・RZAのヒップホップブラザー二人にビル・マーレイ。
どこまでが本気なのか最後までわからない、緩んだ空気が流れる。
コーヒーをサーバーから直飲みするマーレイに憧れたものだ。(真似して胸にこぼすまでがセット)

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ED曲はロックンロールのクラシック、『Louie Louie』のイギー・ポップによるカバー。
イントロのスネアドラムの切れ味から格好良すぎるので、万人に聴いてほしい。

“ louie louie, oh baby I gotta go “という歌詞を
“るーわーるーうぃー、うわぉーべべー、あぁがたごぅなーぅ。”と歌っていて、誇張しすぎたハリウッドザコシショウみたいで最高である。

嘘だと思うだろうけどほんとうだし、最高である。