Jeffrey

ヨーロッパのJeffreyのレビュー・感想・評価

ヨーロッパ(1991年製作の映画)
3.0
「ヨーロッパ」

冒頭、第二次世界大戦に敗戦した直後の1945年のドイツ。鉄道会社ゼントローバに就職する男、アメリカ軍情報部、連合国、抵抗組織、対抗、人狼。今、列車は走る…本作はラース・フォン・トリアーがヨーロッパ三部作のラストを飾る作品で、彼とニルス・ヴァセルが脚本を務め、1991年に製作した1945年のドイツを舞台に第二次世界大戦後のヨーロッパの不安を描き、第24回シッチェス・カタロニア国際映画祭でグランプリ並びに第44回カンヌ国際映画祭で審査員賞、芸術貢献賞、フランス映画高等技術委員会賞を受賞した秀作で、この度トリアー特集の為DVDを購入して再鑑賞したが素晴らしい。

後に彼の作品に多く出るジャン=マルク・バールが主演である。既に日本初公開された「エレメント・オブ・クライム」に続いて「ヨーロッパ」は2本目の公開であり、独特の映像美学がこの作品にも受け継がれている。冒頭のマックス・フォン・シドーが語りかけてヨーロッパへとフェードインしていき、路線が浮かび上がってくる演出からこの作品の虜になってしまうのは私だけじゃないはずだ。

さて、物語は暗闇の中、静かに真っ直ぐに一対のレールの上を列車が走っていく。1945年9月、第二次世界大戦後のドイツ。ドイツ系アメリカ人のレオ・ケスラーは、父の祖国ドイツ復興の一端の担い手になりたいと単身ドイツにやってきた。彼は車掌である祖父の助力で、ドイツの大鉄道網ツェントローパに就職、寝台車両のの見習い車掌として生車に乗り込むことになった。祖父の助力をしながら、破壊されつくしたドイツ国内を縦断していくうちに、彼が見たのは彼のこれまでの理解を覆す未知なる世界であった。ある日、レオは、ツェントローパの社長マックス・ハルトマンの娘であるカタリナに車中で出会う。そしてツェントローパを創設したハルトマン家の夕食に招待されたレオは、そこでハルトマン家の主人マックス、そして息子ローレンス、一家の友人である神父、アメリカ軍事情報部のアレクサンダー大佐に会う。

アレックスは、レオのアメリカ人の部分に依存し、列車の乗客の諜報活動を依頼しようとするのだった。一方マックスは、彼の鉄道網の再興を図るために、連合国側に協力せざるを得ない屈辱的な立場にあったが、若くて無垢なアメリカ人であるレオに好感を抱いた。ライは平和主義者で、ナショナリズムには批判的だ。カタリナはガラス細工の様にもそうに見える家族の絆の中で、レオの目に聡明で誠実にいるのだった。そして彼女もレオに好意を持っていることを隠そうとはしなかった。そして、いつものように汽車に乗り込もうとしたレオは、ハルトマン家の友人と名乗る人物、ジギーに2人の子供の乗車を頼まれる。そして、その列車には連合軍から、フランクフルト市長に任命されたラヴェンシュタイン夫妻も同情していた。やがて、走る汽車の中で市長夫妻が狙撃された。犯人は8歳の少年。レオが乗せた2人の少年は、ナチスのテロ組織(人狼)の刺客だったのだ。

ハリス大佐は、マックスを監視するためにハルトマン家に出入りしていた。またマックスは、そのアメリカ軍との状況を脅迫されてもいた。緊迫の中、脅迫女を受け取ったその夜、ついにマックスは自らをカミソリでさいなみ、生命を断つまでに至る。バスルームに際限なく広がってゆく彼自身の赤い血…そしてその夜カタリナは父親への反発から、彼女が昔(人狼)に属していたことを告白する。連合軍から集会を禁じられている中で、マックスの葬儀をするために、神父はレオに協力を乞う。それに応えたレオは、初めて自分の乗っている汽車の2等、3等車の様子を見ることになる。そこに見たのは彼の乗っている一等車寝台車の乗客とはかけ離れた戦争の傷跡を体に刻み付けた人々の姿だった。心痛むレオに、神父様はカタリナが既に人狼の一員だったときのことを悔いていると話した。レオはカタリナと結婚した。ベルリン、フランクフルト間の乗車勤務についているレオに1本の電話がかかった。カタリナが拉致されたのだった。駆けつけたレオがハルトマン邸で見たものは、殺害されたラリーの遺体だった。人狼の党首ジギーは、カタリナの解放と引き換えにレオの乗るブレーメン特急の列車爆破を要求してきた。ノイヴェート橋の上で爆発物を仕掛け、スイッチを押せと。爆発物を抱えて選択を迫られるレオ。そして、彼の車掌正規採用試験も、この時抜き打ちで行われることになってしまった。そして試験と爆発物、人狼、カタリナと言う女性、乗客、時間そして橋、飲み物、ベッドメイク、靴磨きと追い詰められた彼は容赦なく時代の渦に飲み込まれていく…。

そして物語は再び暗くなり、やがて明るい光と共に夜明けが訪れるが、幻影は変わらず暗闇の中にあり、虜となるものを待っている。息つく幻影、その名をヨーロッパと言うのだろうか…それは観客がどこまでも走る列車の響きに乗せて次々と押し寄せてくる時代の渦から見つけてこなくてはならない…と簡単に説明するとこんな感じで、デンマーク映画からかけ離れた作品だと感じてしまう。今思えば…というかこのたび、彼の作品を一気に全て見たから気づいたことかもしれないが、彼の作品には国のアイデンティティーと言うものを一切感じ取れない。デンマークの文化などがほとんどない。そもそも行ったことのないアメリカを舞台にしたり、挑発的な作品を撮り続けていて、同じ出身地で言えばビレ・アウグストの作品とも大違いである。アウグスト監督のパルムドールを受賞した「ペレ」は大いに自国の歴史が描かれていた。後に再度パルムドールを受賞した「愛の風景」はデンマーク映画の標準的な制作費を大きく上回っていると感じた位で、特にアイデンティティーがないと思わなかった。その標準的な制作費を言うならばこの「ヨーロッパ」もそうであろう。

それがトリアー監督の醍醐味であり、個性的な部分かつ無国籍的な場所で極める作風を世界に知らしめた結果になったため悪い部分では無いとは思う。ただ悲しいことに彼は民族風土のようなものを拒絶しているんだなぁと強く感じてしまう。愛国心がないと言うわけではないが、彼の作品を見るに至っても、彼が情緒不安定であることからして、まぁまともではないとは感じてしまう(責めてる言い方ではない)。逆に褒めているのだ。特にありきたりなデンマーク映画(私はそこまでデンマーク映画を日ごろから見ていないが)とはー線を超えるような作品群を作り出し、いわば異質な立場から物事を言い、本作もアカデミックな視点から見ても前衛的であり、アカデミック会員たちが凌駕するほどのパワーに満ちていて、ドライヤーと言う映画史上の巨匠を別格としても彼が当時撮った際の年齢(30代)から考えてみれば、とんでもない時代と空間の間を大胆に駆け抜ける映像を作ったなと惚れ惚れしてしまうほどだ。知的遊戯と言うのは、この映画のことを言うんだと感じた。

私個人映画も大量に見るが読書も大量にする。この奇想天外な映画作家のことを知りたくて、彼の本を何冊かはるか昔に読んだときの記憶を今一生懸命振り絞って思い返しているのだが、彼は確か小学6年生で学校を退学し、ほとんど独学で高校卒業の資格を取得したと語っていた。すでに10歳の頃から8ミリカメラによって映画の制作を開始し、様々な主題の映画を作り、白黒フィルムに着色したりして遊んでいたとも書いてあった(のような気がする)。前にも話したと思うが、母親が死ぬ際に父親はユダヤ人ではなかったことを知らされたとのことである。このような事柄もある中、映画に対する愛情はさらに大きくなり、16ミリカメラで撮影を始めたり、コペンハーゲンの映画博物館で古典映画の上映会に通ってたりもしたと書いてあった(曖昧)。本作を見て監督の知性と感性が総合的に表現された映画だなと感じた。それにしてもドイツの風景があからさまに出てくる作品が多いのは一体なんでなんだろうかと改めて疑問である。

そういえばこの作品にもフロイトの恐怖を思い起こさせるような場面があって、「奇跡の海」もフロイト的な演出があり、幻想とフィクションと中央ヨーロッパとカフカと政治と戦後とアメリカ全てが全速力で疾走するような列車の中が写し出されている。そういった中で様々な色彩(例えばこの作品ではモノクロのように見える場面がある)やレタリングからテキスト、イラストレーションまでもが完璧なのである。また三部作全てを見るとモノクロ映像が入り込むと言う共通点も今回知れた。そういえばこの作品は鉄道が支配しているかのように圧倒的な存在感がある。物語的には鉄道会社自体は架空のものとなっているがー部史実に基づいている部分もあるとのことだ。そもそもドイツの鉄道はヨーロッパでも古いほうに属している事はあまり知られてないと思う。ニュルンベルクからフュールトまでドイツ最初の鉄道がひかれたのは1835年12月7日と言うことだ。

創立当時は私企業だったが、やがて順次その属する国に買収されてゆく。そしていつしか鉄道の全国統一が焦点となってきた。ドイツを統一したプロテインの首相ビスマルクは鉄道も合併し、ドイツ帝国の支配下に置こうと試みた。その話は学校とかでも勉強した人がいるかもしれない。ところが、この企ては南部の抵抗にあって頓挫してしまう。統一が実現するのは第一次世界大戦が終了してからである。1920年のワイマール共和国設立とともにドイツ鉄道はようやく統一される。この時に新しく設立されたドイツ国有鉄道は全州有鉄道を管轄下におくことになったとの事である。


やはり「グランブルー」に出演していたJ.M=バールは水中の芝居がうまいなと思った。そういえば余談になるが、彼は小さい頃に父親が駐留していたベトナムからの帰りに立ち寄った日本から、お土産に目覚まし時計を買ってきてもらって、その目覚まし時計の音楽がさくらさくら弥生の空は…と言う音楽を流し、そのリズムと歌詞を覚えて、日本に行きたいと思っていたとインタビューに答えていたなぁ確か。この作品はモノクロとカラーが交互に映り込み、眠気を誘うようなゆったりとしたナレーションで始まる。評価高い方だけど個人的にはそんなに楽しいと思わなかった。
Jeffrey

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