Kuuta

間奏曲のKuutaのレビュー・感想・評価

間奏曲(1957年製作の映画)
4.4
どうにかしてダグラスサークの素晴らしさを自分の言葉で語りたいのだけど、これが大変難しいのです…。

「平凡なアメリカ人の女」ヘレン(ジューン・アリソン)は、幻想的なまでに美しいミュンヘンでドイツ人の指揮者トニオと恋に落ちるが、トニオには精神を病んだ奥さんがいて…というお話。

まずもって、50年代にサークがドイツで撮った数少ない作品であり、「観光映画」としてミュンヘンとザルツブルクがめちゃくちゃ綺麗に撮れている(音楽が繰り返し流れ、街と一体化している。サウンドオブミュージックを思い出す)。

一見ステレオタイプなメロドラマの中に、虚飾と偏見に満ちたアメリカ社会への皮肉を忍び込ませるサークのスタイルは、ドイツを舞台にした今作では「嘘みたいに綺麗な世界を彷徨う、アホみたいに真っ白なドレスを着たアメリカ女」という形に変奏されている。

(ミュンヘンのロケでのヘレンの白いドレスの浮きっぷり。言語でしか世界を知らないアメリカ人と、音楽が使えるドイツ人の対比。それなのに演奏会を「アメリカがスポンサーしている」と強調する所は、ちょっと刺々しい)

妻が湖へ走る絵画的な構図をヘレンが反復するシーンが美しい。虚構に取り込まれ、亡霊として切り捨てられる運命に片足を突っ込んでいるヘレンは、最終的には妻と手を取り合い、それぞれの現実に戻る選択をするが…。

サークの映画が恐ろしいのは「ヘレンが恋を諦める切ない話」という体裁を取りながら、実際の彼女に主体性なんてものは無く、「これしかない」という言葉を繰り返したまま、映画が終わっても現状維持を貫いて死んでいくように見える点にある。

雨や時計(「昼休みの間しか喋れない」)といった外的な縛りが彼らの行動を規定している。彼らは自らの意思で愛を貫いたり諦めたりしているように見えるが、将来に待つ八方塞がりのゴールや、ゲームのルールそのものを変える事はできない。

画面には「Ausgang=出口」が何度も映り込んでいるのに、登場人物は一切気付かない。ただただ、フレーム内フレーム(窓や四角い構図)の中で、出たり入ったりを繰り返すばかりだ。

サークの映画は何気なく、でも容赦なく、キャラクターを殺していく。美しい画面の裏に流れるドロドロの残酷さ。ピアノの中に閉じ込められた奥さん初登場シーンや、部屋の奥に佇む映り込み方が怖すぎる。例えばデヴィッド・リンチが「レベッカ」を撮ったら、こんな映画になるんじゃないだろうか。87点。
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