なべ

巴里のアメリカ人のなべのレビュー・感想・評価

巴里のアメリカ人(1951年製作の映画)
3.3
 テアトル・クラシックス ACT.1「愛しのミュージカル映画たち」で、巴里のアメリカ人を上映すると聞いて観てきた。
 実は巴里のアメリカ人がそれほど好きではない。ジーン・ケリーのミュージカル映画にしてはあんまり愉しくないから。1951年のアカデミー賞最多部門受賞作(6部門)ってことで、期待値が上がるが、見終わったときに得られる充足感は思いのほか低い。これは、それまで楽しいだけだったミュージカル映画を芸術の域まで高めたせいだ。その功績が讃えられるのはよくわかるが、その分愉しさが目減りしている。ぶっちゃけ、“すごいけど愉しくない”のだ。
 ではその芸術性とは何か。ひとつは登場するすべての楽曲がガーシュウィンの作だということ。米国を代表する作曲家ってところがミソで、アカデミー会員が大好きな加点ポイントだ。
 次にバレエをダンスに取り入れたところ。巡業中だったバレリーナ・レスリー・キャロンを抜擢してまでバレエにこだわってるんだけど、これによりダンスがアップグレードされて、アーティスティックと大いに評価された。今ではフツーなことだけど、当時は野心的で画期的だったのだろう。よほど手応えがあったのか、続く「雨に唄えば」でもバレエシーンが追加されている。
 さらに、デュフィやユトリロ、ルソーなどの仏絵画とダンスの融合。大掛かりなセットを組み、そこかしこに名画の意匠を取り入れ、ロートレックを彷彿させる衣装できらびやかに舞うカンカンがゴージャス。同じくロートレックの道化師から始まる最後のシークエンスはクライマックスにふさわしい高揚感に満ち溢れている。
 だけど愉しくないんだよなあ。なぜなら歌がないから。歌わないジーン・ケリーなんて全然愉しくないよ。見栄えがよくて、歌えて、踊れて、演技もできるなんて奇跡のような存在なのに、その魅力のひとつを封じるなんて信じられない。
 観客を楽しませることよりも、企画先行で目標に縛られたプロジェクトってこんな残念な感じな仕上がりになることが多い。壮大な自己満足。高いクリエイティビティはクリアしてるから、すごいのはわかる。でも愉しくない。
 もうこの際だから包み隠さずにいうけど、ストーリーもイマイチだと思う。軽薄な米国人と恋多きフランス人のボーイミーツガールにしてはツメが甘い。いや、雑。
 軽薄さを演じるにはジーン・ケリーは見た目がオネスト過ぎるし、恋多き女フランス人を演じるにはレスリー・キャロンは幼すぎる。てかそもそもそこまでキャラが立ってない。悪質ともいえるナンパテクにほだされるような女性にはとても見えないのだ。フランスが舞台だからどんな男女でもすぐに恋に落ちるとは言わせない。そんなだから2人に共感できないし、アンリがかわいそう。ダンスに注力するあまり、物語の強度が弱過ぎないか?
 貶すばかりで全然おもしろくなかったのかと思われそうだが、そうでもなくて、印象に残るシーンもある。てか、ジーン・ケリーが歌って踊るシーンはすべていい。物語は拙くても途中までのナンバーは素晴らしいのだ。ガキンチョに歌うアイガットリズムは超楽しいし、狭い店内でもぶつからずにうまいこと歌って踊るバイ・シュトラウスも3人の男たちの距離が縮まった感がわかるとってもチャーミングな曲。中でも同じ女性に思いを寄せる2人が、そうとは知らずにリズへの思いを一緒に高らかに歌い上げるス・ワンダフルなんて、ミュージカルだからでき得る表現だと思う。「パリの恋人」でアステアも歌ってるけど、ぼくはこちらの方が好き。
 アダムがコンサートを妄想する「ヘ調の協奏曲」もいい。ただアダムがメインストーリーに関わることはなく、ただの隣人として登場し途中退場していくので、なんだか宙ぶらりんな存在なのが残念。コーヒーを噴き出すところは思わず笑っちゃうけど。冒頭では時間を割いて紹介されたのにもったいない。

 こうだとわかってる作品だから、歯痒くても腹は立たないが、初見だとこれが名作だとは受け入れ難いよね。どうか、おもしろくないぞと思っても、自らの感受性を疑ったりしないで。これは褒めどころと貶しどころが混在する名作なので。

 しかしこのジャケ写、著作権フリーの安物DVDのじゃんよ。もっとオシャレで粋なジャケットがあるだろ。とても名作には見えない。
なべ

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