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自由の幻想のMoviePANDAのレビュー・感想・評価

自由の幻想(1974年製作の映画)
4.0
『真意 ~True meaning~ 』

サザンの曲に「マンピーのG★SPOT」という曲があります。さて、この曲に込められた真意とは?

発売当時、番組や雑誌のインタビューでさんざんその意味を聞かれていた桑田さんですが、萬田久子とピーター·ガブリエルのグレイトスポットの事だとか適当に答えていらっしゃいました(笑)聞いてる方も本気で聞いてるとは思えませんが、だってどう考えてもねぇって話です(((^_^;)。

桑田さんは、基本曲先で歌を作ります。で、適当なデタラメ英語みたいな仮歌で一旦歌ってみてからの作詞作業となるわけですが、後日言っていたのは、当たり前の話ですが何もそれについて歌いたかったわけじゃないと… 仮歌を元に詞を考えてたら、「あれはマンピーのG★SPOT♪」って口を突いて出てきちゃったんだもんとの事。

この歌の場合それが真実であり、要は真意なんてないんです。この歌に限らず、映画においても実は意味なんてなくて、ただ面白そうだからやってみたとか、イメージ群を映像にしてみたかったというものがあるはずです。それに対し、受け止める側がそこに意味を見出だそうとしているだけで、本当はそこには何の意味もないという場合もあるのかもしれません。この『自由の幻想』という映画は、まさしくそこに意味を見出だそうとすればする程、楽しめなくなる映画なのかもしれません。

ある物による“最初の一打”。ここはまだベタなドリフ的発想。ただ、その後に訪れる写真のくだりからいよいよ始まるまさに自由すぎる展開。そこから繰り広げられる物語はもはや物語とはいえず、ある人物が出てくると何かしらの理解しがたい出来事が起きます。そして、別の人物にカメラが向くとそこでまた何かが起きる。これらは伏線として絡む事もなく、ましてやひとつの挿話としても成り立たない。でも、それがまたおかしい。

現代においてシュールという言葉は、起源となるシュルレアリスムから離れ、不条理であったり、奇抜や難解という意味で用いられる事が多いと思います。ただ、実のところこの言葉は、理解しきれない言葉であり、意味があってないようなものの事も指すらしいです。

この映画の意味のなさというのは、万人に向けられたものでも高尚なものでもなく、思いつくがまま生み出されたものであり、「面白いと思ったなら面白がってくれればいい。」そんな監督のスタンスを感じる映画でした。ただし、それはそれまでに培われた映画的技術の裏打ちがあってこそ。ただの羅列で簡単にこうはいかない作品だと思わされました。

以前のレビューにも書きましたが、高校の時に学園祭で上映するという名目で自主制作映画を作りました。その名も『未踏のナンセンス』。当時見ていた「ダウンタウンのごっつええ感じ」であれば、ボクはレギュラーのコントより、“実業団選手権大会”とか“腸”とかのまさに一般的にシュールと言われる部類に入るであろうコントこそ好きでした。あと、シティボーイズ大好きなんですボク。

だから、その『未踏のナンセンス』もまさにシュールなものを目指して作った部分があって、物理の先生と友達並べて「料金後納郵便」って意味不明な事言わせてみたり、真っ暗にした体育館でボクと友達でお互いの事を貴婦人と呼び合い「希望に満ちた会話を致しましょうか」とか訳分かんない事言ったりとか、まあヒドい内容です(笑)(^∀^;)でも、そんな意味のないものを自分は「面白い」と思って撮りました。

そしたら、その意味のないものが意味を成しちゃった!何と学園祭で大層受けちゃった!(*´∀`)ノだから、やっぱ好きなんです。こういう意味がないものに意味があると思える作品の事が。
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