暮色涼風

8 1/2の暮色涼風のネタバレレビュー・内容・結末

8 1/2(1963年製作の映画)
2.9

このレビューはネタバレを含みます

フェリーニ自身が赤裸々に自己投影している作品。映画監督の頭の中にある苦悩や妄想や過去や夢を交えて描いた作品というと、北野武監督が自身のキャリアを壊し見つめ直すために作ったという『TAKESHIS'』と『監督・ばんざい!』が思い浮かんだ。これらも『8 1/2』の影響を受けていそうだと思って調べてみたら、やはり意識して作ったそうだ。それを知り納得した。
自分はこの手の作品が苦手だ。
北野映画のほとんどの作品は好きだけど、この二作と『みんな〜やってるか!』は退屈する。
『8 1/2』の一回目の鑑賞も、かなり退屈した。
評価は高いので受け入れられない自分の感性を疑い、すぐさまニ回目の鑑賞をした。しかし退屈した。三回目の鑑賞では、良いと思ったところだけをメモするようにしてみた。

以下、良いと思ったところ。

・クラシックの名曲の乱用はともかく、心の中を読む芸をするシーンのミステリアスな音楽や、幼少の頃のエピソードで流れる郷愁を感じられる音楽などは素晴らしい。
・明暗のコントラストは強すぎず弱すぎず夢と現実の境界を曖昧にし、モノクロを踏まえた美術の配色や、浴場の湯気や煙草の煙といった奥行きの出るもので、惹かれる画になっている。
・台詞の量は膨大で、字幕に表示しきれないほど多い。もしくは表示するほどの価値が無い台詞が多いのか。その姦しい中にグイドの沈黙が際立っているのは効果的な演出だ。
・周囲に嘘をついてばかりで何も思いつかない脳内死人のようなグイドが、「嘘や妥協のない正直な映画を作りたい」「我々の内部で死んでるものをすべて葬り去る映画だ」と切な願いを言うところと、名台詞「人生は祭りだ」からの解放感には、いたく共感できる。
・娼婦サラギーナのダンスは不思議とずっと見ていられる。
・無意味なマントラ「アサニシマサ」が印象的。"寝たふり"と"意味の無い呪文"。あの子供たちの寝る行為とは超越瞑想なのかも知れない。

以下、退屈した理由。

・シノプシスが兎に角つまらない。もっと混乱させて欲しかった。
・この映画を観ていて感じたナルシシズムが鼻につく。
暮色涼風

暮色涼風