すずき

8 1/2のすずきのレビュー・感想・評価

8 1/2(1963年製作の映画)
3.4
映画監督グイドは苦悩していた。
新作の映画の構想を練ってはいるのだが、制作は進まず、制作費だけが膨らんでいくばかりでプロデューサーは彼を急かす。
私生活では、愛人のカルラ、妻のルイザ、お気に入り女優のクラウディア等、周りの女性達との関係に悩まされている。
混乱を極める彼の精神、やがて現実とイメージとが混濁していき…

巨匠フェデリコ・フェリーニの言わずとしれた傑作。
しかし相当に難解な映画だった。相当映画偏差値高くないと理解出来ないよ、コレ!
かくいう私も、多分半分以上理解できてないかも。
でも、流石「映像の魔術師」の異名をもつフェリーニ監督、モノクロ映像のライティングと空間構成が圧倒的で、映像だけでも退屈させない。

この映画は、フェリーニ監督自身を投影した作品らしい。
劇中の主人公グイドも、自分自身を表現した映画を作ろうと苦心している。
最初は何を主題にした映画なのか分かりにくかったけど、話が進むに連れ、グイドが作ろうとしている映画は、この映画自身と同じ形をしたものなのだ、と気づいた。
そして登場人物は、グイドの映画について意見を交わすのだが、それはつまり、この映画の内側から、この映画自身の解説をするという事。
入れ子構造の箱だが、いつしか内側と外側の境界が無くなっているような、「クラインの壺」のような構造の映画だ。所謂「メタ」ってヤツですね。

こんな事を考えてみてたんだけど、前にもこんなの見たことあるなぁ、と思い当たった映画がある。
「8 1/2」をオマージュした作品はとても多いので、誰もが何かしら思い当たるだろうけど、私が思い出したのはチャーリー・カウフマン監督の「脳内ニューヨーク」。
それも自分自身を舞台劇に描こうとする監督を描いた映画で、虚構と現実の境が無くなる所も、入れ子構造もソックリ!
役者を呼んだカメラテストのシーンとか、かなりそのまんまオマージュだった。

ラストの展開はTV版「エヴァ」最終回がオマージュした事が有名で、カット割りとか同じ所も。
自分は、「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」のラストの展開と被った。
主人公のいる所は現実か妄想か、はたまた彼岸かははっきりせず、そばにいる人も去っていた人も彼の前に現れて、彼を肯定する。
一見ハッピーエンドとも解釈できるけど、不穏な解釈だって出来る、受け手によって変わりそうな、印象的なラストだった。
それからちょっと離れるけど、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャrとぅ監督(噛んだ)の「バードマン あるいは(略)」にも近いシーンあったな。
マイナーだけど、トッド・ソロンズ監督の「ダークホース 〜リア獣エイブの恋〜」のラスト演出も似てるかも。

閑話休題。
劇中、グイドはいろんな人に映画の内容について聞かれたり、妻に真実の自分自身について問い詰められたりする。
映画=自分自身のグイドにとって、多分その答えは同じようなモノなんだろうけど、彼はそれらの質問に一切答えず、はぐらかしている。
彼は答えたくなかったのだろうか。それとも答えられなかったのだろうか。
果たして映画と彼自身は、空っぽの詐欺師だったのか、そうでないのか。
やはり自分には、まだまだ解釈と理解が追いつかないようだ。