サマセット7

そして誰もいなくなったのサマセット7のレビュー・感想・評価

そして誰もいなくなった(1945年製作の映画)
3.6
監督は「巴里の屋根の下「自由を我等に」のルネ・クレール。
主演は「赤ちゃん教育」「我が道を往く」のバリー・フィッツジェラルド。

[あらすじ]
孤島に集められた互いに初対面の8人の男女。
島には数日前に雇われてやって来た使用人夫妻がいるのみで、肝心のホストであるU.N.オーエン氏は姿を見せない。
ホスト不在の晩餐の後、屋敷に録音された声が響きわたり、10人の過去の隠された罪状を告げる。
そして童謡「10人のインディアン」を連想させる死に方で、10人は1人また1人と殺されていく。
やがて集められた者たちは気づかざるを得ない。
オーエンは、この中にいる…。

[情報]
1945年公開のミステリー映画。
モノクロ。パブリックドメイン。

原作は、アガサ・クリスティによる同名のベストセラー小説、をさらにクリスティ自身が戯曲化した演劇作品、である。
原作小説は、史上6番目に売れた小説とのこと。
史上最大のベストセラー作家であるクリスティの代表作の一つであり、最高傑作と評価されることも多い。

原作は、実に4回も映画化されており(ロシア語版を合わせると5回!1945.今作、1965姿なき殺人者、1974.そして誰もいなくなった、1989.サファリ殺人事件)、ドラマを合わせると各国で無数に映像化されている。
今作は、初の映画化作品であり、おそらくは原作の映像化作品の中では最も高い評価を得ている。

アガサ・クリスティは、原作小説を戯曲化するにあたり、演劇と小説の違いを念頭に、アレンジを加えている。
結末の改変も、アレンジの一つである。

監督のルネ・クレールは、フランスの映画監督で、クラシックなフランス映画の巨匠の1人。
今作はハリウッドに移っていた時期の作品である。
俳優陣は当時の有名どころが集められた。

[見どころ]
原作由来の設定の妙!!
終盤までは失われない緊迫感!!
これぞ、クラシックな、シチュエーション・スリラー!!
味わい深い、ユーモアと演技!
原作小説を読んだ人も、戯曲版の結末は新鮮で楽しめる…かもしれない。

[感想]
私は原作小説既読の上、大好きな人間である。
当然、映像化作品への評価は辛くなる。

とはいえ、「そして誰もいなくなった」は、芸術的な設定こそが、最大の特徴である。
これを踏襲している今作には、一定の面白さは保証されている。

すなわち、孤島というクローズド・サークルにおける、連続殺人!!
そして、童謡の歌詞のとおりに殺されていく、見立て殺人!!!
1人また1人と殺されていき、だんだん犯人が絞られていくうちに、生まれる疑心暗鬼!
防衛を考えても、嘲笑うかのように起こる次の殺人!!
童謡と殺人のギャップ!その不気味さ!!
1939年に、この設定を確立させたクリスティは、天才という他ない。
その後の本格ミステリーにおいて、この設定を組み入れることは、一ジャンルと化した感すらある。

島の客たちが、右往左往しながら状況に飲み込まれていく様こそが、今作の魅力であろう。
インディアンの像が殺人と共に一つずつ壊されていく不可解さも、不気味さを煽って秀逸。

俳優陣の時にユーモラスで、時に重厚な演技、原作小説の再現度等、納得の出来栄えである。
テンポ良く、97分でサクッと終わる点も印象がいい。
印象的なシーンは、冒頭、ボートで8人が島に向かうシーンか。
セリフなしに、ユーモアとキャラクターを映像で示して、惹きつけられる。

鍵穴の覗き合いや、監視の円環など、ユーモラスなシーンは数多い。
かと言って下世話に終わらず、一定の格調を失わないあたり、クラシック、という感じがする。

評価が分かれる点は、戯曲版同様のオチの部分だろう。
有名な原作小説の結末が、どう改変されているか、それは自分の目でたしかめてほしい。
私ははっきり原作小説派だが、改変にあたってのクリスティの気持ちも一応理解できる。

[テーマ考]
今作を通底するテーマは、断罪である。
同時期のクリスティ作品が同じテーマを扱っていることに照らすと、その時期のクリスティの問題意識だったのかもしれない。

とはいえ、あくまで設定ありき、という気もする。

今作の真のテーマは、クローズドサークル内の見立て連続殺人、という発明の面白さ、に尽きるのかもしれない。

[まとめ]
ミステリーの古典として名高い原作の、クラシックな風格ただよう映画化作品。
なお、原作小説の恐怖小説風味は、クリスティの作品中ではかなり異質である。
クリスティと言えば、名探偵ポワロシリーズに代表される軽妙洒脱なミステリーが代名詞。
未だに映画化され続けているのは、凄すぎる。