COZY922

存在の耐えられない軽さのCOZY922のレビュー・感想・評価

存在の耐えられない軽さ(1988年製作の映画)
3.6
ダニエルデイルイスの、まとわりつくような眼差しに、服の上から視姦されている気分になる。気持ち悪さを感じながらも見てしまう中毒性。

1968年プラハの春。自由化途上の激動の時代。1人の男と2人の女。男は優秀な外科医。だが、無類の女好き。女の1人は奔放な画家。束縛を嫌い自由に生きる。もう1人は田舎育ち。キュートだけどどこか垢抜けない。そんな3人の三角関係。愛と友情と性。言ってみればそれだけの話。だけど、微妙なバランスの関係が不可解かと思えばなぜかナチュラルに感じたりもする不思議な空気がある。

ソ連の軍事介入で緊迫感漂うプラハの重苦しさと、女と見ればすぐに口説くトマシュのこの上ない軽さ。シリアスな政情に、滑稽な人物描写。どうしようもなく好きだからこそ嫌いにもなる トマシュへの愛情と嫌悪。結婚という名の束縛と、unsteadyな愛人関係。劇中、幾つもの両極やアンビバレンスが描かれる。

テレーザから見ればトマシュの生き方は軽くて耐えられない。同時に彼にとっての自分の存在も、全体の一部に過ぎない軽いものだと感じるのも無理はない。だが、そのどうしようもなく軽い男は思想については殊更に頑固。ソ連の要求する署名に周りが皆サインしても彼だけは圧力に迎合することなく、職を追われても断固として署名を拒否する。

軽さって何なんだろう?
誰とでも寝る軽薄。取って代われる脆い存在。権力に屈しない自由な心。誰にも束縛されない身軽さ。ネガティブな軽さとポジティブな軽さ。それぞれに異なる生き方がそこにある。

3人の生き方を見て、がらにもなく哲学的な思いにふけつつ思い出すのはトマシュの眼差しだったりする。物語は長く起伏がなく何がいいのか上手く説明できない。退屈さと気持ち悪さを感じながらも惹かれてしまう私は、どうやら本作のアンビバレントな魅力にハマったらしい。