気楽類蔵

存在の耐えられない軽さの気楽類蔵のネタバレレビュー・内容・結末

存在の耐えられない軽さ(1988年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

なかなかひどい映画の気がする。

ソ連のプラハへの侵攻が時代背景としてあるがどちらかというとこの設定のほうが恋愛を描くための隠れ蓑のように思える。

ダニエルデイルイスはとにかくモテる。メチャクチャにモテる。
いきなり「服を脱げ」と女性に言っても大丈夫なくらいモテる。そんなこと言っても大丈夫だという自分への自信に溢れていて、モテる男だということに周りの女性もすぐに気付くから、それを受け入れてしまう。モテる男だからかモテるを繰り返してきた自由人だ。

しかし、彼はどうしても本気で手に入れたい女にあってしまう。そして、彼女は彼の浮気をすべて見抜きそれを受け入れることができない、まるで自由にならない女だった。
最初は、こっちに来いよと、田舎娘を都会に呼んで遊ぶ余裕をかましていた、彼は次第に彼女に翻弄され、ついには、彼女のために自らの人生の成功を手放すような一大決心をすることになる。彼女を追いかけて不自由なプラハへ戻るのだ。

この時に存在の耐えられない軽さというタイトルの意味がわかる。
モテまくる彼にとっては、女性との関わりはとてつもなく軽い交わりであったが、彼女にはそれが許せなかった。なぜなら恋愛で関わるということはその人の人生に関わるということだからだ。彼女にとっては彼の浮気が彼女の人生を軽く見たものに見えたし、同時にダニエル自身が女性の関わりだけでなく彼自身の人生を軽く考えていることを見抜いたのだ。
それを受けて、ダニエルは決心して、人生をかけて彼女を追いかけることを決める。
追われる立場から追う立場へ、そして自らの立場をどんどん悪くしつつも、彼女と共にいることを選んで行く。
プラハに戻ってからも、久しぶりの浮気がばれれば、さらに状況は悪くなる。嫁さんが存在の耐えられない軽い生き方を試した結果、さらに別の場所へ逃げなければいけなくなる。自らの軽さによって、追い詰められ、もうついには嫁さんの選択についていくしかないダニエル。
しかし、そのたび毎に彼らは重さを持っていくとも言えるのだ。一緒にいることで鈍重な人生に縛られていく。
ラストシーン付近では分かりやすく、嫁さんが足の上に乗って、二人で歩くシーンが出てくる。嫁さんの人生の重みをまさしく感じながら歩き、そこに幸せを感じるダニエル。
そして最後には一緒に事故死。まさに一蓮托生。
モテ男が嫁さんと人生の重さに縛り付けられながらも、それこそが本当の人生の重みであると言い切る映画。
(だって軽いと存在に耐えられない)
要するに
モテ男の一生。
(なんで、生涯ベスト恋愛映画がピアニストのこの俺がこんな映画みてるんだろう)

そうそう、この映画、二人がとうとうまともに向き合って人生共に過ごそうとすることを、ソ連で暮らすことのように描いてるよね。結婚が墓場というのはよく聞くけど、結婚がソ連での生活と一緒、というのはなかなかひどいと思った。
気楽類蔵

気楽類蔵