往々にして日々
僕らは往々にして日々、
素を覆い隠してしまうものです。
常識に一般論に、
それらを固定観念と一括りに呼んでみる。
そんな僕らの固定観念をサラリと挑発する極上のエンターテイメント。
故ロビン・ウィリアムズの魅力を存分に堪能しようと思うと、
ネイサン・レインの怪演に全てを持っていかれてしまう嬉しい誤算。
息子のフィアンセファミリーと対面するために、ゲイのカップルが打って出た一世一代の大芝居。
冒頭、ロビン・ウィリアムズ演じるゲイのおっさんととある男性のやり取りに颯爽と騙されて、
早速この映画の"悪意"にニヤリとしてしまう。
そんなブラックなユーモアがターゲットにするのは、
ジーン・ハックマン演じるフィアンセの父。
彼は、お堅いという言葉がそのままスーツを着て歩いているかのような、
良識にうるさい大物議員。
ゲイの存在すらを毛嫌いする、
いかにもな堅物感。
ただ、その"良識"こそが固定化された観念の表の顔ならば、
それは非現実への願望という裏の素顔に施された化粧。
その化粧が徐々に落ちていき、
素っぴんがあらわになる様をニヤニヤ見ていると、
あらら実は自分も思わず素顔を晒していることにふと気づかされてしまうのがこの映画の意地悪さでもあり醍醐味でもある。
バス停で肩を並べるオッサン二人が、
もはや男女の恋人にしか見えない中盤の名シーン。
いや、あの禁断のツーショットを男女のカップル以上に美しいと感じてしまえるのがこの映画の最大の魅力であるし、
そしてそれが僕らへの大いなる挑発。
その挑発は、
華やかな舞台でスポットライトを浴びる明らかな男の風貌に厚化粧を施したニューハーフたちと、
無味乾燥な日常で常識や一般論という無表情の仮面の影に素顔を隠した僕たちとを対比してなされたもの。
用意周到で綿密に、
エンターテイメントの姿を借りた皮肉。
バードケージに閉じ込められているのは果たしてどちらなんだろうか、、、
いやいや、もはや鳥かごこそがこの世界に残された最後の楽園なのかもしれない、、、
オチはなんとも愉快でありそして、不愉快。
あぁ、固定観念を捨てきれない僕らの生き方の不自由さにくらべ、
男の体に女の心を備えたゲイの不自由さとはなんて自由なんだろうか、、、
それがすごくすごく羨ましくもあり、
それと同時に素を日常に埋没させるを良しとする自分の生きざまを貫こうと、
いささか大袈裟だけれど少しだけ野心的になれた、
何とも不思議な映画。
僕らは往々にして日々、
素を覆い隠して生きよう。
ただ、野心を胸に、、、