ユーライ

黄金を抱いて翔べのユーライのレビュー・感想・評価

黄金を抱いて翔べ(2012年製作の映画)
4.0
二〇一二年の時点から邦画大作としてどれだけ“映画”をやれるか果敢に挑戦していて、そこだけでも評価出来る。説明を排したゴツゴツとしている手触りの再現。髙村薫の特徴である執拗なディティールの積み重ねは時代設定を変更しても忠実に再現しようとしているし、ハードボイルドとしてのキザな(あるいはクサい)台詞も残しつつ、オリジナルのやり取りや固有名詞の多用もここではお洒落だ(「お前らゾンビ派か?」「過激派だよ」)。しかし、生身の役者が発するには芝居がかり過ぎ、実力派を揃えてもなお設定のリアリティと相反してキツさが目立つ辺り、髙村薫がいかに独自の位置にいるかを示してもいる。ハードボイルドの陶酔は言ってしまえば周囲が存在しない自慰だから(セカイ系と似ている)、クライマックスの襲撃に際してやたらと目立つでんでん等周りのモブの右往左往がひたすらに邪魔臭い。あえて挿入しているのかも知れないが、ハードボイルドに水を差す客観なんていらない。高村薫自身が過去にペンネームとして使用していた「幸田」を体現する妻夫木聡の厭世的な佇まいが素晴らしく、同性愛者を匂わせるルックスや垣間見える女性との距離感の描写から逃げていない。恐らくは男性同士への憧憬から来る“隠微”さも過去に映画化された『レディ・ジョーカー』と比べれば確実に踏み込んでいる。ジイちゃんの首吊りと対比される屋上のダイブから“人間のいない土地”に向かい出向する舞鶴湾の幻影を見ながら、幸田の絶命を断言するラストは夢が無い。やはり陶酔を避けている。それでも大阪の雑多な街並み、シャツに染みを作るような暑さや黄金が姿を現した時の眼に毒な煌びやかさには映像化の本懐がある。一見社会派としてやりやすそうな高村薫作品だが、その完全映像化への道はひたすらに険しい。
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