Kamiyo

晩春のKamiyoのレビュー・感想・評価

晩春(1949年製作の映画)
4.5
”晩春(1949)”  監督小津安二郎
脚色 野田高梧 小津安二郎

僕が初めてこの映画を観たのは22歳ぐらの頃だったろうか確かテレビで、その時は年代的にもこの映画に感情移入出来る登場人物はおらず
まだ映画のこともよく分かっていなかったので
特に感慨もなかった。しかし、歳を取った今観直すと
これほど味わい深い映画もないと感じられた。
大切に育ててきた娘を送りださねばならない父親の愛情、淋しさ、孤独が、見事に描き出されていた。

1949年製作。「紀子三部作」と言われる作品群の
原節子の小津作品主演第一作である本作は
ただでさえ美人の彼女が一層きれいに見える。
笑顔がよく似合い、それが演技ではなく
心底、愉快だからこそ出て来る笑顔だ。

北鎌倉で暮らす主人公の娘紀子(原節子)と父親の
大学教授曽宮周吉(笠智衆) とのふたり暮らし
周吉はなかなか嫁に行こうとしない紀子を
心の底から案じている
『お嫁にいっちゃいなさいよ』と言われる娘
紀子27歳、戦後の混乱で病んでしまい
体が弱く、ようやく健康を回復し
明るさを取り戻した一人娘だが
婚期が遅れるのを周りは心配するが
本人は『結婚なんかしない』と言って
周囲を困らせる。むしろ娘の関心は
自分の結婚より父親の再婚話にある。
そのせいか紀子の父親への愛情は人一倍強い
父親との生活が楽しく現状に満足しているため
お嫁に行こうとしない。
この作品はそんな紀子が父との別れを受け入れ
お嫁に行くまでの話を描いている。
舞台となる晩春の鎌倉の風景が美しく切り取られており、登場人物たちに静かに寄り添っているように感じました。

原節子演じる紀子は前半、実によく笑っている。
普段の何気ない表情でさえニヤニヤしているように
見える。この穏やかな笑顔はとても温かく感じられて人柄の良さが窺える。美人だし申し分のない女性だ。

紀子は縁談話に全く乗り気でない。
一番の理由は父親との関係性にあるが、
ここに一人の男の存在も感じられる。
周吉の助手の服部昌一(宇佐美淳) だ。
この二人はとても仲が良く見える。

鎌倉の道路を走る場面あるのですが
標識が英語なんですね。進駐軍の管理下
しかも、コカコーラの看板まであるのねん 驚き。。。
そして一緒にサイクリングに行くシーンの会話は
紀子の服部に対する告白とも感じられるものがあった。
焼きもち焼きと繋がったタクアンに関する話がそうだ。
服部は近々結婚するのだが
どうも服部も紀子に好意を抱いているとしか思えない。

「能舞台」での
父親がお見合いするかもしれない女性が
近くに居るのに気づく娘。
笑顔で会釈する二人、二人の様子を交互に
何度も見る娘の不安げな表情。
やがて項垂れてしまう娘の様子を丁寧に拾う
小津のカメラは実に巧みだ。
父が娘を想ってつく優しい嘘、、、
何処までもあったかかった。
最後の父が独りリンゴの皮を剥く場面、、
何ともいえない感情が込上げて来た。

紀子は父・周吉(笠智衆)の親友・小野寺(三島雅夫) が再婚することを知り、「何だか不潔よ。汚らしいわ」
と言う。これも笑いながら言うので、決して険悪な雰囲気にはならない。小野寺の困惑しながらも返すユーモアが楽しい。

父親を演じた笠智衆がとても印象的だった。
笠智衆の演技はお世辞にも上手いとは言えないが内から
溢れ出る優しさや存在感が素晴らしく唯一無二の奥深さのある俳優だと思った。

月丘夢路が演じる親友とのガールズ・トークも見物。
本音を包み隠さず言い合えるふたりの関係性にホッコリし、昔も今も女性の抱く悩みや喜びは変わらないのかも、と思いました。
月丘夢路はカワイく本当に綺麗

結婚式に向かうシーンで杉村春子がバックを二つもって
退場しようとしてまた戻って忘れ物がないかぐるりと部屋を一周してから階段を下りていくのです 
流石にうまい。。。
父親と杉村春子のゲイリー・クーパー似の《さたけ》
「熊太郎」の名前のやり取りがコミカルだった。
「クーちゃん。熊さん。熊君。。」のクダリは
爆笑でした。

そしてこの時代の言葉遣いや仕草
なんて上品で優雅なんだろ、と思う。
『風呂敷かー、紙袋でないのって凄くいいなぁ』とか
『着物に兵児帯ってのがさり気なくて粋だなー』と
思ったり、
そんな事思いながら観ている事がとても心地よい。

そして一番の驚きは、小津監督の小物の使い方や配置。
本当に素晴らしく緻密で、凛とした整然さがそこには在る。
『美意識が極めて高い』と思う。
鎌倉・京都の風景、お茶会、能といい、小津監督の徹底した日本の「美」に対するこだわりを感じる。
考えてみれば、戦争が終わってまだ3~4年くらいしか経っていない頃の作品だ。
つい最近、戦争があったなんて思えない。

結婚前最後の家族旅行にて、旅館で過ごす一夜。
最後の京旅行の宿で紀子は父に
「このままお父さんといたいの」と告白する。
唐突なセリフで、ゾクゾクとしてしまう。
この関係はもう父親と娘のものではなく
男と女のそれと思われても仕方ない。
このセリフを言わせたことで色々と
憶測が生まれることになる。
確かにここに紀子の性的コンプレックスを認めることも
可能なのだろうけど、
自分はやはり戦前の家族の倫理観を引きずっている女性という側面が強く出ているのではないかいう気がしている。

この父娘の関係が近親相姦めいていると云う考察を
ネットで拝見しました。確かにそんな気もしました。
ふたりの会話の後に映される床の間の花瓶がその象徴と
云うことらしいのですが
小津監督の実際の真意は分からないが、多くは語らずに
受け手の想像力を掻き立てる日本的な奥深さがあり
素晴らしいと思った。

ラストシーンの笠がりんごの皮をむきながら嗚咽する。
無言。痛切なラストシーンで余韻が残る。

エンディングの海のシーン
最後の海のシーンは、途中服部と紀子がサイクリングした海のシーンに重なります。
紀子と服部の叶わなかった想い、その“儚さ”を裏テーマとして表現したのではないでしょうか。
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