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晩春のめるのレビュー・感想・評価

晩春(1949年製作の映画)
4.2
すでに小津安二郎節が確立している一本

昔の映画は"お嫁に行くこと=本当の幸せ"を肯定している映画ばかりかと思っていたら、そうじゃなかった。
小津安二郎監督は早くもそれに気づいて問題提起していた。

しかも、単にお嫁に行きたくない娘ではなくずっとお父さんと一緒にいたい娘というのがこの作品の肝。
お母さんがいなくなって娘が代わりにお父さんの世話をする。これだけなら珍しくはないけど、この映画では明らかに妻と娘の境界が曖昧になっている。知らず知らずのうちに、お父さんは妻がいるような感覚に、娘は旦那がいるような感覚になっていたのかも。
そう考えるとかなりギョッとする。

笠智衆と原節子の年の差は16歳だということに今さら驚く。
45歳の笠智衆が56歳のお父さんを演じているわけだけど、一般的な56歳より枯れていて人生も終わりに近いという台詞も時代を感じる。

映画が中盤に差し掛かったところで、お父さんがまさかの一言。
それまでは「女の子はお嫁に行くべき」という風潮を振り切っていた紀子がどうにもならない状況に置かれもはや逃げ場がない。
原節子の鋭い目線やうつ向く横顔から漂う負のオーラがすごい。

能の会場で紀子が相手の女を見た後に父を見る目線がどっからどう見ても嫉妬。
旅館の布団の上で会話をする父と娘のただならぬ空気感。
ゾワゾワしました。……こんな父と娘いる!?いる!?

───幸せは待つものじゃない。幸せは作り出すものなんだよ。
お父さんの言葉にも一理ある。そうだろうなぁと頷かないでもない。
でも、紀子の「分かった」は大好きなお父さんを安心させるための言葉のようで自分に言い聞かせるための言葉のようでもある。


お父さんの一言の真実を知ったとき「極悪人!!」と思わず叫んでしまった。かなり黒い笠智衆でした。
これがハリウッド映画だとかなり叩かれる父親像だけど、小津映画の笠智衆だとお父さんの強制的な優しさも受け入れてしまいそうになる。

後半になるにつれて紀子の気持ちが分かりにくくなる。たぶん紀子自身の気持ちもぐちゃぐちゃなのでは?
結婚式の日まで紀子がお父さんに執着する気持ちは強く感じた。

最後に林檎の皮を剥く周吉。
林檎の皮が涙の滝のように流れて切れて落ちる。

押し寄せては引く波。
これで本当に良かったのかと答えが出ない問いに堂々巡り。

さすがの出来でした。
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