まぬままおま

虹を掴む男のまぬままおまのレビュー・感想・評価

虹を掴む男(1947年製作の映画)
4.0
ノーマン・Z・マクロード監督作品。

冴えない出版社勤めの男は、社長や母、婚約者からの抑圧から逃避するように白昼夢の世界に耽る。白昼夢の世界にはいつも美しいヒロインがいる。ある時いつものように電車で通勤しているとそのヒロインに偶然出会って、事件に巻き込まれて…。

ダニー・ケイの好演ぶりよ。主人公の男(ダニー・ケイ)は白昼夢では、天才外科医、カウボーイ、航空隊員などになり「男らしく」大活躍する。それぞれの役を演じている時はコメディ調ではあるけれど、それが夢の世界を確かに形作っているし、ケイが現実で同じ素振りをする時、現実と虚構の境界が溶ける。

本作は40年代の作品であり、CGなんて全く発達していない時代の作品だ。それなのに現実と夢=虚構の混交をセリフと虚実の二つの世界の巧みな構築と混線で描くのだから素晴らしい。

例えば冒頭の母とケイの車内のシーンでおかしなセリフを言うのはケイではなく母である。それにより現実の全うさを現わす母の世界に違和が生じそれがケイの虚構の世界の侵入を容易にさせる。

また虚構と現実の混線のタイミングがケイの通勤途中の電車である。電車とはある地点から別の地点へ移動する空間であり、人物が弛緩する場所でもある。よって現実から虚構へ移動することを可能にする空間なのである。だからこのタイミングはベストであり、私たち鑑賞者もすんなり受け止めることができる。

オープニングクレジットでもクレジットが透明な扉でめくられる表現を用いることで虚実の混交を示しているし、出版社の社内風景では撮影現場が登場する。しかも社内はセットであるけれど、窓を開けるとハトがやってきたりと手が込まれている。それとは反対に白昼夢の世界では背景のディティールを減らし、セットであることをあえてみせることで虚構の世界であることを描いている。

昨今、物語世界を撮影する現場を登場させることで虚実の混交を行う作品をよくみるが、台詞と世界の構築のみで巧みに混交ができることをこの作品が示している。