ROY

幕間のROYのレビュー・感想・評価

幕間(1924年製作の映画)
3.8
画面静止、コマ落とし、スローモーション

スウェーデンバレエ団の公演の幕間に上映された実験映画。

・マルセル・デュシャン、マン・レイ、エリック・サティ、フランシス・ピカビア出演のシュルレアリスム映画。フランシス・ピカビアが書いた脚本は二頁ばかりの簡潔なものだったが、ルネ・クレールはそこから数々のテーマを引き出してリズミカルなダダイズム・コメディとして作り上げた。バレエ界の花形であったジャン・ボルランも出演している。

・'24年、フランシス・ピカピア創作のバレエ「本日休演」(音楽エリック・サティ、振付ジャン・ボルラン)の幕間に上映するシュールレアリスムの短篇映画『幕間』を撮影。画家マルセル・デュシャン、写真家マン・レイなども出演した。この頃、ロシア領ポーランド生まれの舞台装置家ラザール・メールソンと知り合う。'25年、『幕間』「眠るパリ」公開。

■NOTES
まず19 世紀末にリュミエール兄弟によって確立された映画は、その後1902年にジョルジュ・メリエスによる『月世界旅行』等に代表される作品が生まれてくる。これは今までのリュミエール兄弟のフィルム群と違い、演劇を映像化したような作品であった。これが今日の劇映画への流れとなっていく。この事は言い換えれば映画が演劇に隷属化したとも捉えられることとも言える。1920年代に入ると映像の活用の方法の更なる可能性として、映画ならではの表現の確立が叫ばれることとなる。そしてそれは美術の運動と結びついて行われていった。最初のそのムーブメントはドイツで興った絶対映画と呼ばれるものである。この絶対映画とは代表作にハンス・リヒターによる『リズム 21』などがある。リヒターは画家であり、映画を静止した絵画に時間軸を与えるという考えの下、制作した物である。従ってここで描かれている物は、丸や四角の抽象的な図形が移動をしたり大きさを変えたりといった、物語ることを目的としたものではない。そしてその思想の背景には美術運動のダダイズムがあった。ダダイズムは第一次世界大戦に 対する抵抗や、それによってもたらされた荒廃による虚無を根底に持ち、既成の概念や秩序、常識に対して破壊的、攻撃的な思想であった。また芸術のタブラサ(白紙化)を行うことを目的ともしていた。そこで作り出された映画とは、上記のような抽象的な図形の運動であり、そこには演劇の否定から物語の拒絶や映画制作における制作工程の否定が見受けられる。同時期に、リュミエールの映画の誕生の地フランスで興った 純粋映画と呼ばれるムーブメントが発生する。そこには代表作としてルネ・クレールによる『幕間』やフェルナン・レジェによる『バレエ・メカニック』などの作品がある。これらに共通することは美術運動のダダイズムの影響を色濃く受けていること である。しかしながら絶対映画との違いとして、絶対映画が抽象的な絵によってリズムを映画化したのに対し、純粋映画は実写の映像を使い、抽象化したリズムを作り出していった点が挙げられる。しかし共に演劇 の隷属化としての映画システムではないという点や、第一次世界大戦と人類史上未曾有の出来事を経験したことからの思想から、表現が生まれている点が重要である。その後フランスにおいてはシュールレアリスム映画が作られていく。代表作としてルイス・ブニュエルとサルヴァトール・ダリによる『アンダルシアの犬』がある。この作品も物語の大きな拒絶があるが、美術運動としての影響はダダイズム後のシュール レアリスム運動がある。これはダダイズム後の荒廃の中から、僅かでもなにかを立ち上げようとする機運が見受けられる。戦争による荒廃からの再興を感じさせるものがあるが、それが無意識という人間ならではの新たな認知であった。

石原康臣「映像史教育の一考察」p.132、https://tais.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=106&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

■デュシャンは語る
__あなたはルネ・クレールの『幕間』に、マン・レイ、ピカビア、サティらと一緒に出演なさっています。それからロルフ・ド・マレのバレエにも。これは折衷主義の・・・(インタビュー/ピエール・カバンヌ)

そう言ってもいいですよ。『幕間』というのは、そのタイトルが示しているとおり、あるスウェーデンのバレエの幕間に映写されるものでした。私が出たのは、ピカビアとサティの『休演』の場面です。上映は一回しかなされませんでした。私は付髭と葡萄の葉で、裸のアダムに扮しました。イヴをやったのはブローニャというロシアの若い女性で、彼女もやはり全裸でした。ルネ・クレールは上の方の屋根組にいて、私たちに照明をあてていました。そしてそこから彼女に恋をしてしまったのです。彼らは数ヶ月後に結婚しました。私はマッチメーカー、ほらあの結婚の仲人役をつとめたのです!『幕間』にはシャンゼリゼの屋根の上で、私がマン・レイとチェスを指す場面があります。そこにピカビアが水まきホースを持ってやってきて、すべてを洗い流してしまうのです。非常にダダ的でした。そうでしょう。
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