【そこにある死よりも目の前の美】
ルキノ・ヴィスコンティ監督×トーマス・マン原作×ダーク・ボガード主演の名作ドラマ
〈あらすじ〉
1911年、作曲家のアッシェンバッハが休養でイタリアのベニスを訪れる。そこで彼は、宿泊先で出会った少年の美貌に強く惹きつけられる。彼はそれ以降、その美少年を求めベニスを彷徨い始めるが、ちょうどその頃、コレラが蔓延し始める…。
〈所感〉
何年か前に一度見た時にすごい鮮烈な体験をした記憶があるので再鑑賞してみた。言ってしまえばおじさんがベニスで美少年に恋してストーカーしまくるという激ヤバ物語なのだが、そんな異常さがある上限を超えると神聖なものに見えてくるのが憎らしい。他の映画とかと違って何かが突出してめちゃくちゃ面白いという訳では決してないんだけど、なぜかずっとずっと忘れられない作品。この映画はビョルン・アンドレセンという世界一の美少年ありきの作品であり、それが全てと言っても過言ではない。ただ、彼自身にとって本作は自身のトラウマであり、世界中から性的搾取に遭ったという問題を頭から切り離してはいけないと思う。真の美しさに直面した時、人は考えるのを辞め、議論を辞め、ただ黙って対象を見つめ続けることしかできない、そんな無力さすら感ずる。主人公の音楽家アッシェンバッハはクラシック音楽の大家グスタフ・マーラーがモデルと言われており、神経質で内省的な部分は確かに見て取れる。アッシェンバッハの芸術論は、芸術は後天的な努力によって生まれると要約できるが、彼にとってビョルン・アンドレセン扮する中性的な見た目の少年タッジオの美しさは論理的思考では到底理解できない圧倒的なアート作品であったのだろう。自然が産んだ奇跡の前では、こねくり回した思想や必死で建設してきた功績もすべては欺瞞であり、もはや虚無である。そして彼の静養は平穏なものどころか、寧ろ命に関わるバカンスへと変貌を遂げていく。以前見た時は正直コレラなんて現実味のない作り話じゃん!なんて無知な私は思っていたが、コロナ禍を通過した我々にとって本作は今タイムリーに胸に迫ってくる物がある。同じ空間にいて、その結果死が目前に迫っていようとも、私は目の前にあるあなた=美を選ぶ。それは明らかに人生における痛恨の不正解に見えるが、たった一つの会心の最適解なのかもしれない。ルキノ・ヴィスコンティ監督の映す退廃的なベニスも絵画のように美しく、グスタフ・マーラーの交響曲第5番アダージェットがリンクしすぎている。全体的に言葉が少ない作品ながらずっと目が離せない。何度でも観たい素晴らしい作品です。